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大堀 友常|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052070 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

大堀 友常
おおほり ともつね

中川手小学校長を16年間、東川手小学校長を8年間務め、特色ある教育をし、農村・青年教育にも貢献する。

生年月日 1881年(明治14)12月10日
没年月日 1939年(昭和14)6月5日
関連地域 明科大足平
職業・肩書 教育功労者
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(教育)

 

経歴

明科大足平に生まれました。1906年(明治39)に中川手小学校長となり、1921年(大正10)まで16年間務めました。校舎を中耕地より現地へ移転新築し、校地拡張・雨天体操場の新築に貢献しました。また、個性尊重・自学自習・筋肉練磨等特色ある教育を行い、県内外より学校視察者が多くなりました。農村教育・青年教育も熱心で、中川手青年会会長も務めました。1922年(大正11)に東川手小学校長となり、1929年(昭和4)まで8年間務め、農村教育・青年教育にも貢献しました。
退職後は、村会議員となりました。
1939年(昭和14)6月5日に死去しました。

略歴譜

1881年(明治14)12月10日 明科大足平に生まれる。
  松本中学校(現深志高等学校)を卒業する。
1906年(明治39) 中川手小学校長となり、1921年(大正10)まで16年間務める。
  学生時代は柔道・鉄棒の名手であったため、校庭へ鉄棒を設備し妙技を演じる。
  杉浦重剛を崇拝し、東西南北会員となる。
  農村教育・青年教育も熱心で、中川手青年会会長も務める。
  校舎を中耕地より現地へ移転新築し、校地拡張・雨天体操場の新築に貢献する。
  個性尊重・自学自習・筋肉練磨等特色ある教育を行い、県内外より学校視察者が多くなる。
1922年(大正11) 東川手小学校長となり、1929年(昭和4)まで務め、農村教育・青年教育にも貢献する。
  退職後は、村会議員となる。
1939年(昭和14)6月5日 死去。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市図書館

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