竹田 信平|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052067 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月27日更新
竹田 信平
たけだ しんぺい
中川手村長。わさび栽培を導入し、倉科多策と共同で養鱒場の設置に尽力する。
生年月日 | 1878年(明治11)1月23日 |
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没年月日 | 1946年(昭和21)8月28日 |
関連地域 | 明科(塔ノ原) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科塔ノ原に生まれました。村会議員となった後、1923年(大正12)、中川手村長に就任し、8年間勤務しました。日露戦争に従軍し、遼陽の戦で決死隊の分隊長として負傷し、金鳩(きんし)勲章を授けられました。御法田の耕地整理組合長として開発整理をし、大正末年にわさび栽培を塔ノ原側へ導入しました。1926年(大正15)、倉科多策と共同で養鱒場の設置をし、県水産指導所の前身となりました。
お宮の裏を通ったときでも礼拝するほど信仰心が深く、親分肌のところや人情にもろい面もあり、日露戦争の決死隊出発の際の話を涙ながらに何回も人に聞かせました。
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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