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中村 英碵|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052064 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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中村 英碵
なかむら えいせき

医師開業。

生年月日 1784年(天明4)
没年月日 1863年(文久3)10月
関連地域 三郷(上長尾)
職業・肩書 医師(松本藩藩医)・歌人
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

三郷上長尾に生れました。幼少の頃から学問が好きで、単身で長崎へ赴き蘭学を学ぶとともに医学を志しました。さらに京阪の地で数年間研鑽(けんさん)を積み、医師の資格を取得しました。世相から医学に専念することが許されなかったため、頼三樹三郎・梅田雲濱等の志士と交わって20余年国事に尽しました。老母の懇願で郷里に戻り、開業して貴賎貧富の別なく施療し、貧しい人には無料で治療を行い、村民はその徳を称えました。その名声を伝え聞き、遠近から診察を求める人が増えました。また、松本藩の藩医を拝命し、領主の診療に従いました。さらに、本居太平の門人となり、国学を学んだほか、禅学・易学・暦数を深め、茶道・音楽の道をも究め、仏道修業にも励みました。1863年(文久3)、病気のため亡くなりました。

略歴譜

1784年(天明4) 0歳 三郷上長尾の桂三郎の長男に生れる。
  16歳 単身で長崎へ遊学する。
    医学を志し、京阪の地で数年間研鑽し免許を取得する。
文化   世相から医学に専念することが許されず、天下の志士と交わって20余年国事に尽す。
    高齢の母親の懇願で郷里に戻り、開業する。
    名声を伝え聞き、遠近から診察を求める人が増える。
1823(文政6)から
1830年(文政13)頃
  本居太平の添削した詠草を多く残す。
    尾州万松寺の洞霊和尚に師事して禅学を修める。
1824年(文政7)   本居太平の門人となり、国学を学んだほか、禅学・易学・暦教に造詣が深く、茶道・音楽の道をも究め仏道修業にも励む。
1863年(文久3)10月 79歳 病気のため亡くなる。
    父子三代継いで医業に精進し、名医となって社会のために尽す。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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