中村 英碵|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052064 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
中村 英碵
なかむら えいせき
医師・歌人
生年月日 | 1784年(天明4) |
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没年月日 | 1863年(文久3)10月 |
関連地域 | 三郷(上長尾) |
職業・肩書 | 医師(松本藩藩医)・歌人 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
三郷上長尾に生まれました。幼少の頃から学問が好きで、単身で長崎へ赴き蘭学を学ぶとともに医学を志しました。さらに京阪の地で数年間研鑽(けんさん)を積み、医師の資格を取得しました。世相により医学に専念することが許されなかったため、頼三樹三郎・梅田雲濱等の志士と交わって20余年国事に尽くしました。老母の懇願で郷里に戻り、開業して貴賎貧富の別なく施療し、貧しい人には無料で治療を行い、村民はその徳を称えました。その名声を伝え聞き、随所から診察を求める人が増えました。また、松本藩の藩医を拝命し、領主の診療に従いました。さらに、本居太平の門人となり、国学を学んだほか、禅学・易学・暦数を深め、茶道・音楽の道をも究め、仏道修業にも励みました。1863年(文久3)、病気のため亡くなりました。
略歴譜
1784年(天明4) | 三郷上長尾の桂三郎の長男に生まれる。 |
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単身で長崎へ遊学する。 | |
医学を志し、京阪の地で数年間研鑽し免許を取得する。 | |
文化 | 世相により医学に専念することが許されず、天下の志士と交わって20余年国事に尽くす。 |
高齢の母親の懇願で郷里に戻り、開業する。 | |
名声を伝え聞き、随所から診察を求める人が増える。 | |
1823(文政6)から 1830年(文政13)頃 |
本居太平の添削した詠草を多く残す。 |
尾州万松寺の洞霊和尚に師事して禅学を修める。 | |
1824年(文政7) | 本居太平の門人となり、国学を学んだほか、禅学・易学・暦数に造詣が深く、茶道・音楽の道をも究め仏道修業にも励む。 |
1863年(文久3)10月 | 病気のため死去。 |
父子三代継いで医業に精進し、名医となって社会のために尽くす。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |