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中田 太郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052061 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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中田 太郎
なかた たろう

農学博士。日本の蚕糸研究のリーダーとして、蚕業界の発展に尽くす。

生年月日 1898年(明治31)
没年月日 1957年(昭和32)4月
関連地域 三郷(小倉)
職業・肩書 農学博士
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(学術・思想)

 

経歴

三郷小倉に生まれました。1916年(大正5)に、松本中学校(現松本深志高等学校)を卒業し、1919年(大正8)、上田蚕糸専門学校養蚕科(現信州大学繊維学部)を首席で卒業して、母校で助手を務めました。1922年(大正11)に、九州大学農学部農学科に入学し、田中義磨博士の門弟となりました。卒業後、1928年(昭和3)まで同校大学院に在学しました。同年に福岡県農林技師蚕業試験場の技師として勤務し、1936年(昭和11)同試験場長となりました。1939年(昭和14)、九州大学の推薦により、京都府綾部市郡是製糸株式会社に迎えられ、蚕糸化学研究所長となりました。1944年(昭和19)、研究所長兼本社第三製作部長に、翌年には蚕種部長兼研究部長となり、多大の功績により農学博士となりました。1953年(昭和28)、懇望されて本郡組合製糸安曇蚕糸共同組合連合会並びに安曇蚕業株式会社の顧問・取締役となり、難事業をなし遂げました。1956年(昭和31)、ビルマ国の要請でマンダレー大学教授を務めましたが、翌年、急病で死去。

略歴譜

1898年(明治31) 三郷小倉に生まれる。
1916年(大正5) 松本中学校を卒業する。
1919年(大正8) 上田蚕糸専門学校養蚕科を首席で卒業し、母校で助手を務める。
1922年(大正11) 九州大学農学部農学科に入学し、田中義磨博士の門弟となる。
1925年(大正14) 九州大学農学部農学科を卒業する。1928年(昭和3)まで同校大学院に在学し、研鑽(けんさん)を積む。
1928年(昭和3) 福岡県農林技師蚕業試験場に技師として勤務する。
1936年(昭和11) 福岡県農林技師蚕業試験場長となる。
1939年(昭和14) 九州大学の推薦により、京都府綾部市郡是製糸株式会社に迎えられ、蚕糸化学研究所長となる。
1944年(昭和19) 研究所長兼本社第三製作部長となる。
1945年(昭和20) 蚕種部長兼研究部長となる。12月に九州大学から農学博士の学位を授与される。
1953年(昭和28) 本郡組合製糸安曇蚕糸共同組合連合会・安曇蚕業株式会社の顧問・取締役となる。
1956年(昭和31) ビルマ国の要請で、マンダレー大学教授として、蚕糸学科創設と新天地蚕糸業開発に携わる。
1957年(昭和32)4月 急病のため死去。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市図書館

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