塚田 豊太郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052055 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
塚田 豊太郎
つかだ とよたろう
冷沢から黒沢川へトンネルによる取水を計画。小倉村長。
生年月日 | 1865年(慶応1) |
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没年月日 | 1899年(明治32) |
関連地域 | 三郷(北小倉) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
三郷北小倉に生まれました。幼少の頃は、増田塾や和田の百瀬良甫に就いて学問に励み、卒業後は家業の農業にいそしみました。小倉村会議員時代は、同年に初代の収入役に迎えられ、村財政確立のために努力しました。その後、懇願されて助役に就任し、衆望を担って第2代の小倉村長に就任しました。水資源を確保するために、島々谷へ注ぐ冷沢から1,800mのトンネルを掘って黒沢川に導入する計画を立て、東京帝国大学工学士西尾虎太郎を招き実地調査や村民からの聞き取り、工事計画の説明に奔走しましたが、議会で討議を重ねている中病気により亡くなりました。
略歴譜
1865年(慶応元) | 三郷北小倉に生まれる。 |
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1885年(明治18) | 科布村外二箇村戸長役場の書記となる。 |
1893年(明治26) | 小倉村会議員に選出される。 |
1897年(明治30) | 村長に就任する。 |
1899年(明治32) | 病死。 |
参考文献
三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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