塚田 豊太郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052055 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
塚田 豊太郎
つかだ とよたろう
トンネルを掘り梓川から黒沢川への取水計画。小倉村長。
生年月日 | 1865年(慶応1) |
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没年月日 | 1899年(明治32) |
関連地域 | 三郷(北小倉) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
1865年(慶応1)、三郷北小倉に生れました。幼少の頃は、増田塾や和田の百瀬良甫に就いて学問に励み、卒業後は家業の農業にいそしみました。1885年(明治18)、科布村外二箇村戸長役場の書記となりました。1893年(明治26)、小倉村会議員に推され、同年に初代の収入役に迎えられて、村財政確立のために努力しました。その後、懇願されて助役に就任し、1897年(明治30)に、衆望を担って第2代の小倉村長に就任しました。水資源を確保するために、島々谷へ注ぐ梓川水系の冷沢からの水を取り入れるため、1,800mの墜道(ずいどう)を掘って、黒沢川に導入する計画を立てました。1899年(明治32)、実地調査を行い、村民の意向を聞き、工事計画を説明し、議会で討議を重ねている中、病気により亡くなりました。
略歴譜
1865年(慶応1) | 0歳 | 三郷北小倉に生れる。 |
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幼少の頃、増田塾や和田の百瀬良甫について学問に励む。 | ||
卒業後、家業の農業にいそしむ。 | ||
1885年(明治18) | 科布村外二箇村戸長役場の書記となる。 | |
1893年(明治26) | 小倉村会議員に推される。 | |
初代の収入役に迎えられ、村財政確立のために努力する。 | ||
懇願されて助役に就任する。 | ||
1897年(明治30) | 衆望を担って第2代村長に就任する。 | |
島々谷へ注ぐ梓川水系の冷沢から取水のため、1,800mの墜道を掘って黒沢川に導入する計画を立てる。 | ||
1899年(明治32) | 34歳 | 東京帝国大学工学士西尾虎太郎を招き、実地調査、村民の意向聞き、工事計画の説明を行い、議会討議の中、亡くなる。 |
参考文献
三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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