田淵 行男|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0066810 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
拡大表示 撮影 水越武
田淵 行男
たぶち ゆきお
高山蝶の生態研究に情熱を傾けた山岳写真家。豊科重柳に記念館がある。名誉市民。
生年月日 | 1905年(明治38)6月4日 |
---|---|
没年月日 | 1989年(平成1)5月30日 |
関連地域 | 豊科(見岳町。穂高牧に疎開し、常念岳等で高山蝶の生態研究を行う。鳥取県出身。) |
職業・肩書 | 昆虫学者・山岳写真家・教育功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
鳥取県黒坂村(現日野町)に生れました。1924年(大正13)、東京高等師範学校(現筑波大学)博物科に入学し、ギフチョウの研究を行いました。卒業後は富山県立射水中学校(現富山県立新湊高等学校)、独協中学校(現独協中学校・独協高等学校)等の教諭を勤めました。1945年(昭和20)に穂高牧に疎開し、その後高山蝶の生態研究に入りました。また、山麓のアシナガバチ・ギフチョウ・ヒメギフチョウの生態研究も行いました。1959年(昭和34)には、数百回に及ぶ北アルプスの踏査が実り、著書「高山蝶」を出版しました。1961年(昭和36)には豊科見岳町に転居しました。1976年(昭和51)に、環境庁長官より、自然保護思想普及功労賞を受賞しました。
略歴譜
1905年(明治38)6月4日 | 鳥取県黒坂村に生れる。 |
---|---|
1924年(大正13) | 東京高等師範学校博物科入学、在学中ギフチョウの研究をする。 |
富山県立射水中学校、東京府立第二高等女学校(現東京都立竹早高等学校)、同女子師範学校(現東京学芸大学)、独協中学校の教諭を勤める。 | |
1945年(昭和20) | 穂高牧に疎開する。 |
1946年(昭和21) | 白馬山麓にギフチョウの豊産地を発見する。 |
1951年(昭和26) | 本格的に高山蝶の生態研究に入る。 |
1959年(昭和34) | 数百回に及ぶ北アルプスの踏査が実り、著書『高山蝶』を出版する。 |
1961年(昭和36) | 豊科見岳町に転居する。日本写真批評家協会特別賞を受賞する。 |
1976年(昭和51) | 環境庁長官より、自然保護思想普及功労賞を受賞する。 |
1984年(昭和59) | 豊科町名誉町民となる(安曇野市名誉市民)。 |
1989年(平成1)5月30日 | 死去。 |
1990年(平成2)7月7日 | 豊科重柳に田淵行男記念館が開館する。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
---|---|---|
田淵行男記念館所蔵資料 | ||
富山県立新湊高等学校公式ホームページ | ||
独協中学校・独協高等学校公式ホームページ | ||
東京学芸大学公式ホームページ | ||
東京都公式ホームページ | ||
鳥取県公式ホームページ | ||
ウィキペディア「東京第一師範学校」 |