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田淵 行男|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0066810 印刷用ページを表示する 掲載日:2020年12月16日更新

田淵 行男の写真

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田淵 行男
たぶち ゆきお

高山蝶の生態研究に情熱を傾けた山岳写真家。豊科に記念館がある。名誉市民。

生年月日 1905年(明治38)6月4日
没年月日 1989年(平成1)5月30日
関連地域 豊科(見岳町。穂高牧に疎開し、常念岳等で高山蝶の生態研究を行う。鳥取県出身。)
職業・肩書 昆虫学者・山岳写真家・教育功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(芸術)

 

経歴

鳥取県黒坂村(現日野町)に生れました。1924年(大正13)、東京高等師範学校(現筑波大学)博物科に入学し、ギフチョウの研究を行いました。卒業後は富山県立射水中学校(現富山県立新湊高等学校)、独協中学校(現独協中学校・独協高等学校)等の教諭を勤めました。1945年(昭和20)に穂高牧に疎開し、その後高山蝶の生態研究に入りました。また、山麓のアシナガバチ・ギフチョウ・ヒメギフチョウの生態研究も行いました。1959年(昭和34)には、数百回に及ぶ北アルプスの踏査が実り、著書「高山蝶」を出版しました。1961年(昭和36)には豊科見岳町に転居しました。1976年(昭和51)に、環境庁長官より、自然保護思想普及功労賞を受賞しました。

略歴譜

1905年(明治38)6月4日 0歳 鳥取県黒坂村に生れる。
1924年(大正13)   東京高等師範学校博物科入学、在学中ギフチョウの研究をする。
    富山県立射水中学校、東京府立第二高等女学校(現東京都立竹早高等学校)、同女子師範学校(現東京学芸大学)、独協中学校の教諭を勤める。
1945年(昭和20)   穂高牧に疎開する。
1946年(昭和21)   白馬山麓にギフチョウの豊産地を発見する。
1951年(昭和26)   本格的に高山蝶の生態研究に入る。
1959年(昭和34)   数百回に及ぶ北アルプスの踏査が実り、著書「高山蝶」を出版する。
1961年(昭和36)   豊科見岳町に転居する。日本写真批評家協会特別賞を受賞する。
1976年(昭和51)   環境庁長官より、自然保護思想普及功労賞を受賞する。
1984年(昭和59)   豊科町名誉町民となる。
1989年(平成1)5月30日 83歳 亡くなる。
1990年(平成2)7月7日   豊科重柳に田淵行男記念館が開館する。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館
田淵行男記念館所蔵資料    
富山県立新湊高等学校公式ホームページ    
独協中学校・独協高等学校公式ホームページ    
東京学芸大学公式ホームページ    
東京都公式ホームページ    
鳥取県公式ホームページ    
ウィキペディア「東京第一師範学校」    

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