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唐澤 善兵衛|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052051 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

唐澤 善兵衛
からさわ ぜんべえ

組頭。阿弥陀堂を建立し、開田事業に尽力して、堀金扇町の発展に貢献する。

生年月日 不詳
没年月日 1860年(安政7)3月10日
関連地域 堀金(扇町)
職業・肩書 組頭
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 社会(社会事業)

 

経歴

文化から天保年間にかけて、扇町の開発に貢献しました。1778年(安永7)に表堰が掘り通され、飲料水等の生活用水は、近くに得られるようになりましたが、灌漑用水の水利権はありませんでした。1811年(文化8)、穂高牧の真福寺の古堂を買い入れ、村人30数名が作業に従事して阿弥陀堂が建立されましたが、この頃から善兵衛は村の中心人物であったと考えられます。1816年(文化13)に拾ヶ堰が完成し、堀金では烏川用水が不用となったため、ようやく古堰の水利権を手に入れることができました。組頭として扇町30戸の団結の中心となり、着々と堰普請を推し進めて開田事業に取り組みました。1820年(文政3)、本格的に水田化に着手し、扇町全体では8町5反余の水田が生れました。米の収穫量は年々増加し、1833年(天保4)には郷倉が建築されました。

略歴譜

生年不詳 0歳 堀金烏川扇町に生れる。
1778年(安永7)   表堰が掘り通され、飲料水等の生活用水は、近くに得られるようになったが、灌漑用水の水利権はなかった。
1811年(文化8)   穂高牧の真福寺の古堂を買い入れ、村人30数名が作業に従事して阿弥陀堂が建立される。
  この頃から村の中心人物であったと考えられる。
1816年(文化13)   拾ヶ堰が完成し、堀金では烏川用水が不用となったため、ようやく古堰の水利権を手に入れることができた。
  この頃、組頭として扇町30戸の団結の中心となり、着々と堰普請を推し進めて、開田事業に取り組む。
1820年(文政3)3月4日   大雪の中、村人数10名が夫婦ともども出動して水神宮を建立し、翌日には建立を祝って祭(堰権現祭)が行われる。
1820年(文政3)   松本藩から拝借金30両を30戸の連帯責任で借用し、本格的に水田化に着手する。
  村人の先頭に立って水田を開き、扇町全体では8町5反余の水田が生れる。
  8年間で拝借金を皆済することができ、米の収穫量も年々増加する。
1833年(天保4)   郷倉を建築する。
1860年(安政7)3月10日   亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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