唐澤 善兵衛|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052051 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
唐澤 善兵衛
からさわ ぜんべえ
文化から天保年間にかけて扇町の開発に貢献した組頭。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 1860年(安政7)3月10日 |
関連地域 | 堀金(扇町) |
職業・肩書 | 組頭 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 社会(社会事業) |
経歴
元禄年間に扇町に入植した人々は、長い間用水に苦労して開墾してきました。1778年(安永7)に表堰が掘り通され、飲料水等の生活用水は、近くに得られるようになりましたが、灌漑用水の水利権はありませんでした。1811年(文化8)、穂高牧の真福寺の古堂を買い入れ、村人30数名が作業に従事して阿弥陀堂が建立されましたが、この頃から善兵衛は村の中心人物であったと考えられます。1816年(文化13)に拾ヶ堰が完成し、堀金では烏川用水が不用となったため、ようやく古堰の水利権を手に入れることができました。組頭として扇町30戸の団結の中心となり、着々と堰普請を推し進めて開田事業に取り組みました。1820年(文政3)、本格的に水田化に着手し、扇町全体では8町5反余の水田が生れました。米の収穫量は年々増加し、1833年(天保4)には郷倉が建築されました。
略歴譜
生年不詳 | 堀金烏川扇町に生まれる。 |
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1811年(文化8) | 扇町では穂高牧の真福寺の古堂を買い入れ、村人30数名が作業に従事して阿弥陀堂が建立される。 |
既にこの頃から村の中心人物であったと考えられる。 | |
1816年(文化13) | 拾ヶ堰が完成し、堀金では烏川用水が不用となったため、扇町では古堰の水利権を手に入れることができた。 |
この頃、組頭として扇町30戸の団結の中心となり、着々と堰普請を推し進めて、開田事業に取り組む。 | |
1820年(文政3)3月4日 | 大雪の中、村人数10名が夫婦ともども出動して水神宮を建立し、翌日には建立を祝って祭(堰権現祭)が行われる。 |
1820年(文政3) | 松本藩から拝借金30両を30戸の連帯責任で借用し、本格的に水田化に着手する。 |
これにより村人の先頭に立って水田を開き、扇町全体では8町5反余の水田が生まれた。 | |
米の収穫量も年々増加した。 | |
1833年(天保4) | 郷倉を建築する。 |
1860年(安政7)3月10日 | 死去。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
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