東條 たかし|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052048 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
東條 たかし
とうじょう たかし
ワシントン靴専門店を開く。研成義塾に学ぶ。
生年月日 | 1888年(明治21) |
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没年月日 | 1970年(昭和45) |
関連地域 | 穂高(東穂高) |
職業・肩書 | 実業家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(経済) |
経歴
穂高東穂高に生れました。研成義塾で3年間学び、1906年(明治39)、18歳で同級生の清沢巳末衛と渡米し、製材所、鉄道建設現場等に勤め、共同で食品雑貨の店を経営するに至りました。27歳で、松本市本郷出身の上条静と店を持って独立しました。その後、16年間、総合食料品店を経営しました。井口喜源治に励まされて努力を続け、恩師に感謝し、研成義塾のために送金しました。1929年(昭和4)の大恐慌を機に、蓄積した資金を持って帰国しました。在米中の資金を元手に、東京銀座に靴専門店を開き、全国各地に支店を持ちました。穂高有明橋爪に、ワシントン靴工場を設立しました。1970年(昭和45)に亡くなりました。
略歴譜
1888年(明治21) | 0歳 | 穂高東穂高に生れる。 |
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研成義塾で3年間学ぶ。 | ||
1906年(明治39) | 18歳 | 同級生の清沢巳末衛と渡米し、製材所、鉄道建設現場等に勤め、共同で食品雑貨の店を経営するに至る。 |
27歳 | 松本市本郷出身の上条静と店を持って独立する。 | |
その後、16年間、総合食料品店を経営する。 | ||
井口喜源治に励まされて努力を続け、恩師に感謝し、研成義塾のために送金する。 | ||
1930年(昭和5) | 1929年(昭和4)の大恐慌を機に、翌年、蓄積した資金を持って帰国する。 | |
在米中の資金を元手に、東京銀座に靴専門店を開き、全国各地に支店を持つ。 | ||
穂高有明橋爪に、ワシントン靴工場を設立する。 | ||
1970年(昭和45) | 亡くなる。 |
参考文献
穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
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