等々力 いく|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052047 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
等々力 いく
とどりき いく
東宮妃等皇族の看護に従事。日本赤十字社本社看護婦長。
生年月日 | 1873年(明治6) |
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没年月日 | 1951年(昭和26) |
関連地域 | 穂高(等々力) |
職業・肩書 | 看護士 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
穂高等々力に生れました。日本赤十字社長野支部看護婦第13期生として入社し、東京の本社に転勤した後に看護婦長となりました。東宮妃御大患の時は3か月間にわたって御看護に当り、秩父宮・高松宮両殿下が御病気の都度、参殿し看護しました。三度にわたり従軍徽章(きしょう)を賜り、勲七等宝冠章を拝授しました。ヘルシンキの万国赤十字看護婦会議に日本代表として出席し、万国赤十字社から、わが国5人目のナイチンゲール章を授与されました。後に、下田歌子が校長であった実践女学校に講師として招かれ、看護学の講座を担当しました。1946年(昭和21)、日本赤十字社有功章を授与されました。
略歴譜
1873年(明治6) | 穂高等々力に生れる。 |
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1896年(明治29) | 日本赤十字社長野支部看護婦第13期生として入社する。 |
1899年(明治32) | 東京の本社に転勤する(のちに看護婦長)。 |
1911年(明治44) | 東宮妃御大患の時、3か月間御看護に当る。 |
1925年(大正14) | ヘルシンキの万国赤十字看護婦会議に日本代表として出席し、ナイチンゲール章を授与される。 |
1936年(昭和11) | 郷里に戻る。 |
1946年(昭和21) | 日本赤十字社有功章を授与される。 |
1951年(昭和26) | 死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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日本赤十字社看護大学資料室公式Webサイト |