藤森 馨|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052041 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
藤森 馨
ふじもり かおる
信州実業界の重鎮として活躍するとともに、豊科町長に就任し、地方行政に貢献する。
生年月日 | 1886年(明治19) |
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没年月日 | 1947年(昭和22) |
関連地域 | 豊科(新田) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
豊科新田に生れました。松本中学校(現深志高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学(現東京大学)に進みました。その後、母校の小林有也校長に迎えられて教師となりました。1915年(大正4)に教壇を退き、信州銀行の常務取締役に就任し、実業界に入りました。1921年(大正10)には、豊科町長となり、郡町村会長、県町村会副会長も歴任して地方行政に貢献しました。1925年(大正14)から信州銀行頭取、長野貯蓄銀行取締役、信州電気株式会社監査役を兼任したほか、松本商工会常議員となり、信州実業界の重鎮として活躍しました。経済界のみならず、方面委員、家庭審判調停委員として社会福祉事業に貢献しました。消防事業では、郡・県代議員、大日本消防協会代議員となって貢献をしました。1947年(昭和22)、61歳で亡くなりました。
略歴譜
1886年(明治19) | 0歳 | 豊科新田に生れる。 |
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松本中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学に進む。 | ||
母校の小林有也校長に迎えられて教鞭をとる。 | ||
1915年(大正4) | 信州銀行の常務取締役に就任し、実業界に入る。 | |
1921年(大正10) | 豊科町長となる。 | |
1925年(大正14) | 信州銀行頭取、長野貯蓄銀行取締役、信州電気株式会社監査役を兼任し、また松本商工会常議員となり、活躍する。 | |
方面委員、家庭審判調停委員として社会福祉事業に貢献する。 | ||
消防事業は、郡・県代議員、大日本消防協会代議員となる。県下で稀なノーザン式ガソリンポンプ車を購入する。 | ||
郡町村会長、県町村会副会長に歴任して、地方行政に貢献する。 | ||
時間尊重の啓蒙・定時励行を自ら実践し、大日本生活改善同盟から表彰される。 | ||
1947年(昭和22) | 61歳 | 亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |