ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

藤森 秀夫|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052039 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

藤森 秀夫の写真

拡大表示

藤森 秀夫
ふじもり ひでお

ドイツ文学者。「めえめえ児山羊」の作詞家。

生年月日 1894年(明治27)
没年月日 1962年(昭和37)
関連地域 豊科(新田)
職業・肩書 ドイツ文学者・詩人・教育者                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

豊科新田に生れました。松本中学校(現深志高等学校)、第一高等学校(東京大学の前身)を経て、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学し、1918年(大正7)にドイツ文学科を卒業しました。慶応義塾大学・明治大学のほか、熊本・富山・金沢の旧制高等学校で教え、晩年は、早稲田大学と明治大学で教壇に立ちました。やがて、ドイツ文学者として、ゲーテとハイネの研究の権威者となりました。「めえめえ児山羊」「山の娶御」「父さんどうど」「フリージア」「谷間の姫百合」等の民謡・童謡を作詞し、録音・放送され、今も全国の少年・少女たちに歌われています。1962年(昭和37)、68歳で病気のため亡くなり、1964年(昭和39)5月には、豊科中学校講堂南の「思索の庭」に「めえめえ児山羊」の詩碑が建てられました。

略歴譜

1894年(明治27) 0歳 豊科新田に生れる。
    松本中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学する。
1918年(大正7)   ドイツ文学科を卒業する。
    慶応義塾大学・明治大学のほか、熊本・富山・金沢の旧制高等学校で教鞭をとる。晩年は、早稲田大学・明治大学で教壇に立つ。
    ドイツ文学者として、ゲーテとハイネの研究の権威者となる。
    「めえめえ児山羊」「山の娶御」等の民謡・童謡を作詞し、録音・放送される。
1962年(昭和37) 68歳 病気のため亡くなる。
1964年(昭和39)5月   豊科中学校講堂南の「思索の庭」に、「めえめえ児山羊」の詩碑が建てられる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?