藤森 秀夫|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052039 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
藤森 秀夫
ふじもり ひでお
ドイツ文学者。「めえめえ児山羊」の作詞者。
生年月日 | 1894年(明治27) |
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没年月日 | 1962年(昭和37) |
関連地域 | 豊科(新田) |
職業肩書 | ドイツ文学者・詩人・教育者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
豊科新田に生れました。松本中学校(現:松本深志高等学校)、第一高等学校(東京大学の前身)を経て、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学し、1918年(大正7)にドイツ文学科を卒業しました。慶応義塾大学・明治大学のほか、熊本・富山・金沢の旧制高等学校で教鞭をとり、晩年は早稲田大学と明治大学で教壇に立ちました。やがて、ドイツ文学者として、ゲーテとハイネを研究しました。「めえめえ児山羊」「山の娶御」「父さんどうど」「フリージア」「谷間の姫百合」等の民謡・童謡を作詞しました。1962年(昭和37)、68歳で病気のため亡くなりました。1964年(昭和39)5月には、豊科中学校講堂南(現:安曇野市役所本庁舎北東)の「思索の庭」に「めえめえ児山羊」の詩碑が建てられました。
略歴譜
1894年(明治27) | 豊科新田に生れる。 |
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松本中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学する。 | |
1918年(大正7) | 東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業する。 |
慶応義塾大学・明治大学のほか、熊本・富山・金沢の旧制高等学校で教鞭をとる。晩年は早稲田大学・明治大学で教壇に立つ。 | |
ドイツ文学者として、ゲーテとハイネの研究を行う。 | |
「めえめえ児山羊」「山の娶御」等の民謡・童謡を作詞。 | |
1962年(昭和37) | 病気のため亡くなる。 |
1964年(昭和39)5月 | 豊科中学校講堂南(現:安曇野市役所本庁舎北東)の「思索の庭」に、「めえめえ児山羊」の詩碑が建てられる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |