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内川 十次郎(亀八)|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052035 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

内川 十次郎(亀八)
うちかわ じゅうじろう(かめはち)

東川手村長。村の産業の発展に貢献し、雲龍寺復興にも尽力する。

生年月日 1868年(慶応4)1月16日
没年月日 1927年(昭和2)12月1日
関連地域 明科(潮)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

明科潮に生れ、山十商店を経営しました。1924年(大正13)から1927年(昭和2)まで、村長を勤め、潮川原の堤防、明科潮の水道設置、電話・電灯の架設、精米機の設置、化学肥料の普及等、村の産業の発展に貢献しました。
また、雲龍寺の石禅和尚に協力して、寺の復興に尽力し、院殿禅清居士号を受けました。
十次郎(亀八)は、家庭の教育も厳しく、17条の家訓を残しました。

略歴譜

1868年(慶応4)1月16日 0歳 明科潮に生れ、山十商店を経営する。
1924年(大正13)   1927年(昭和2)に亡くなるまで、村長を勤める。
    潮川原の堤防、明科潮の水道設置、電話・電灯の架設、精米機の設置、化学肥料の普及等村の産業の発展に貢献する。
    雲龍寺の石禅和尚に協力して、寺の復興に尽力し、院殿禅清居士号を受ける。
    17条の家訓を残す。
1927年(昭和2)12月1日 59歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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