内川 武雄|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052034 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
内川 武雄
うちかわ たけお
中川手村長・県会議員等要職に就き、村・郡政に尽力する。また、松本医専(現在の信州大学医学部)の設置に努力し、実現させる。
生年月日 | 1894年(明治27)12月14日 |
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没年月日 | 1967年(昭和42)2月26日 |
関連地域 | 明科(塔ノ原) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科塔ノ原に生まれました。北海道へ渡り、室蘭商業を卒業しましたが、20歳頃に帰村しました。中川手村青年会長、村会議員、農会長、助役に就任しました。1937年(昭和12)に県会議員となり、1947年(昭和22)まで勤めました。この間、1年間村長に就任し、消防組頭・国防婦人会長・三栄社理事・養蚕組合中川手支部長・県代議員・松筑耕地協会長等も務めました。犀川線の全通、明科・更埴線の県道編入、郡内の溜池・農道・水路の建設等の業績を残したほか、松本50連隊跡へ松本医専の設置を、熊谷村司と共に尽力して、実現させました。1967年(昭和42)2月26日、死去。
略歴譜
1894年(明治27)12月14日 | 明科塔ノ原に生まれる。 |
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北海道へ渡り、室蘭商業を卒業する。 | |
帰村する。 | |
中川手村青年会長、村会議員、農会長、助役に就任する。 | |
1937年(昭和12) | 県会議員となり、1947年(昭和22)まで勤める。 |
この間、村長を1年間勤め、消防組頭・国防婦人会長・三栄社理事・養蚕組合中川手支部長・県代議員・松筑耕地協会長等も務める。 | |
犀川線の全通、明科・更埴線の県道編入、郡内の溜池・農道・水路の建設等の業績を残す。 | |
松本50連隊跡へ松本医専の設置を、熊谷村司と共に尽力して実現させる。 | |
1967年(昭和42)2月26日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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