ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

内川 友三郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052033 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

内川 友三郎
うちかわ ともさぶろう

東筑摩郡会議員・郡農会長。開墾事業・道路の拡張改修・堤防作り・耕地整理・鉱山採掘計画等、多方面で活躍する。

生年月日 1873年(明治6)3月6日
没年月日 1940年(昭和15)3月12日
関連地域 明科(塔ノ原)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

明科塔ノ原に生れました。中村多八郎と普通選挙運動を行いました。村会議員になり、28歳で東筑摩郡会議員となりました。東筑摩郡農会長として、東筑摩郡農民同志会を創設しました。長峰の開墾による桑園作り・郡道川手街道の拡張改修・明科会田線の拡張改修、犀川の塔ノ原堤防作り・塔ノ原八十七割の耕地整理等を行いました。村外では、平瀬の耕地整理・清水屋と協同して上高地明神池周囲の開発・大町の西山儀一郎と黒四ダム周辺鉱山採掘計画を立てる等をしました。
1940年(昭和15)3月12日に、亡くなりました。

略歴譜

1873年(明治6)3月6日 0歳 明科塔ノ原に生れる。
    中村多八郎と普選運動を行う。
    村会議員となる。
  28歳 東筑摩郡会議員となる。東筑摩郡農会長として、東筑摩郡農民同志会を創設する。
    長峰の開墾をして桑園を作る。
    上高地明神池周囲の開発を、清水屋と協同して計画する。
    郡道川手街道の拡張改修を行う。
    明科会田線の改修・拡張、犀川の塔ノ原堤防作り・塔ノ原八十七割の耕地整理等を行う。
    他町村では、平瀬の耕地整理を行う。
    大町の西山儀一郎と黒四ダム周辺鉱山採掘計画を立てる。
1940年(昭和15)3月12日 67歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?