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二木 好晴|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052032 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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二木 好晴
ふたつぎ よしはる

歌人。短歌結社「潮音(ちょうおん)」幹部となり、後輩の指導に当る。『白夜』は、日本短歌雑誌連盟より優秀歌誌として表彰される。

生年月日 1903年(明治36)
没年月日 1994年(平成6)3月1日
関連地域 堀金(田尻)
職業・肩書 歌人
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

堀金田尻に生れました。15歳の頃から月刊少年雑誌『日本少年』等に詩歌を投稿しました。小学校高等科を卒業して、農業の傍ら、雅号を蓼花(りょうか)・二葉 等と称し、信毎歌壇その他の新聞雑誌に投稿しました。1920年(大正9)、短歌結社「潮音」に入社。1925年(大正14)から1972年(昭和47)までに、『刈萱集』に毎号10首程度が掲載されました。1926年(大正15)に長野県巡査となり上田署に勤務。1961年(昭和36)に退職するまで県下各地に勤務しました。1967年(昭和42)に、日本短歌雑誌連盟より、優秀歌誌として『白夜』が表彰され、1973年(昭和48)には勲六等単光旭日章を授与されました。堀金村の文化祭には、1955年(昭和30)以来、短歌部門の選者として、村民の作歌意欲の高揚に努めました。1991年(平成3)、米寿を記念として『遊想八十八年』を出版しました。1994年(平成6)、91歳で亡くなりました。

略歴譜

1903年(明治36) 堀金田尻に生れる。15歳頃から月刊少年雑誌『日本少年』等に詩歌を投稿する。
  農業の傍ら、雅号を蓼花・二葉等と称し、信毎歌壇その他の新聞雑誌に詩歌を投稿する。
1920年(大正9) 短歌結社「潮音」に入社する。
1925年(大正14) 1972年(昭和47)まで、『刈萱集』に毎号10首程度が掲載される。
1926年(大正15) 長野県巡査となり、上田署に勤務。1961年(昭和36)に退職するまで県下各地に勤務する。
1928年(昭和3) 「潮音」を退社する。
1939年(昭和14) 特別社友として「潮音」に復帰する。
1944年(昭和19) 潮音同人となり、自選歌集『あさひ影』を刊行。翌年、友人と短歌誌『青雲』を創刊する。
1948年(昭和23) 『露草』が創刊される。『露草』の選者となる。
1954年(昭和29) 「潮音」の幹部となる。
1955年(昭和30) 『露草』を退いて、『白夜』の創刊に参加する。
1967年(昭和42) 日本短歌雑誌連盟より、優秀歌誌として『白夜』が表彰される。
1973年(昭和48)11月3日 勲六等単光旭日章を授与される。
1976年(昭和51)8月 歌集『霜・露』を出版する。
1991年(平成3) 米寿を記念として、「潮音」「露草」「白夜」と長い歌歴の中から、歌に関する評論を集めて、『遊想八十八年』を出版する。
1994年(平成6)3月1日 死去。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会/編 安曇野市図書館

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