尾日向 竹重|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052018 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
尾日向 竹重
おびなた たけしげ
三鱗石炭株式会社に入社してから、実業家としての才能を発揮し、東京化学工業株式会社等数々の会社を創立し、日本煉炭工業会会長等の要職に就き、石炭・石油業界の発展に貢献する。
生年月日 | 1902年(明治35) |
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没年月日 | 1990年(平成2)8月 |
関連地域 | 堀金(岩原) |
職業・肩書 | 実業家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(経済) |
経歴
堀金岩原に生まれました。1924年(大正13)、三鱗石炭株式会社に入社しました。1926年(大正15)には、三鱗無煙炭株式会社取締役支配人に就任し、1940年(昭和15)に、三ッ輪産業株式会社を創立して、代表取締役社長となりました。翌年に東京化学工業株式会社を創立、1957年(昭和32)から1981年(昭和56)にかけては、三ッ輪石油株式会社のほか、銚子燃料株式会社・小田原燃料株式会社・三ツ輪運輸株式会社・三ツ輪液化瓦斬株式会社等を創立し、没年まで現役として勤めました。その間、商工省物価諮問委員・石油審議会専門委員・日本煉炭工業会会長等として尽力しました。厳格な事業観と人情味豊かな人柄で、「すべての人が我が師なり。あなたも私の先生です。」をモットーにしていました。堀金神社・村の施設等へも数々の寄贈をし、郷里堀金の発展に大きく貢献しました。
略歴譜
1902年(明治35) | 堀金岩原に生まれる。 |
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1924年(大正13) | 専修大学商科進学後、三鱗石炭株式会社に入社する。 |
1926年(大正15) | 三鱗無煙炭株式会社取締役支配人に就任する。 |
1940年(昭和15) | 三ッ輪産業株式会社を創立して、代表取締役社長となる。 |
1941年(昭和16) | 東京化学工業株式会社を創立する。 |
1957年(昭和32)から 1981年(昭和56) |
三ッ輪石油株式会社のほか、銚子燃料株式会社・小田原燃料株式会社・三ツ輪運輸株式会社・三ツ輪液化瓦斬株式会社等を創立し、没年まで現役として勤める。 |
その間、商工省物価諮問委員・石油審議会専門委員・全国Lpガス卸売協議会副会長等を勤める。 | |
また、神奈川県煉炭工業会会長・関東煉炭工業会会長・日本煉炭工業会会長として、業界のために尽力する。 | |
生来、機智とユーモアに富み、読書を好み、独学で英語を習得し、エッセイ随想等を多く著す。 | |
1983年(昭和58)秋 | 元首相福田赳夫らの求めに賛同して、多額の私財を投じ、南方特別留学生約200人との40年ぶりの再会を実現させる。 |
1985年(昭和60) | 堀金小学校百周年記念に当り、小林章作・彫刻「カブト」他を寄贈する。 |
堀金中学校・堀金神社・村の施設等へも数々の寄贈をし、郷里堀金の発展に大きく貢献する。 | |
1990年(平成2)8月 | 死去。この年、正六位に叙せられる。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
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