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百瀬 豊三郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052073 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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百瀬 豊三郎
ももせ とよざぶろう

明盛村長として、無駄を省く基本財産蓄積条例を作り実行。

生年月日 1848年(嘉永1)
没年月日 1912年(明治45)
関連地域 三郷(一日市場)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 政治(村政)

 

経歴

1848年(嘉永1)、三郷一日市場に生れました。若い頃は、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武(しょうぶ)の精神の涵養(かんよう)に努めました。1895年(明治28)、衆望をにない、明盛村々長に就任しました。村内を7区に分けて区長を置き、任期を3年とするなどの改革をすすめました。1897年(明治30)に一旦退任しますが、そこから5年間、村政は村長・収入役・助役が相次いで辞職し不在となるなどの混乱を重ねます。この混乱は1903年(明治36)に百瀬が請われて村長に就任し、ようやく安定を取り戻し、百瀬は在職中に亡くなるまで連続3期村長を勤めました。日露戦争(1904年〜05年)中は、出征兵士やその家族を支援することに尽力しました。戦時にあって国の指示によって歳出削減が求められ、25%もの削減を余儀なくされましたがこれを乗り切りました。また「明盛村基本財産蓄積条例」を作り、無駄を省いて基金を蓄え、学校校舎の改築や火災などの災害に備えました。後年この基金は校舎建設などに大いに役立ちました。1908年(明治41)には、小学校統合計画をめぐる村内の反対運動を慰留説得、通学路整備などの措置によって解決しました。1912年(明治45)年、村長在任中に亡くなりました。

略歴譜

1848年(嘉永1) 三郷一日市場に生れる。
  若い頃、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武の精神の涵養に努める。
1895年(明治28) 衆望をにない、村長に就任する。
村内を7区とし、区長を置き、任期を3年とする改革をおこなう。
1903年(明治36) 明盛村村長に再任される。日露戦争があり、一般経費節約のために村費を25%削減する。
1905年(明治38) 基本財産蓄積条例を作り、無駄を省いて基金を積み立て、学校の不慮の災害などに備えた。 
1906年(明治39) 明盛消防団の発展のために、器具置場の敷地を寄付し、消防団の基礎をつくる。
1908年(明治41) 温明高等小学校への統合で反対運動が起こるが、遠距離通学費支給や道路整備を条件に説得して、平静になる。
  この間に、組合会議員の辞職を説得したり、校名変更等をしたりして、さまざまな問題を解決する。
1910年(明治43) 村長に3選される。
1912年(明治45) 村長在任中、旧校舎を教員住宅として整備等をしている中、亡くなる。
  村民は、村長の逝去を惜しんで、村葬を行う。

参考文献

三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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