百瀬 豊三郎|安曇野ゆかりの先人たち
百瀬 豊三郎
ももせ とよざぶろう
明盛村長として、無駄を省く基本財産蓄積条例を作り実行。
生年月日 | 1848年(嘉永1) |
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没年月日 | 1912年(明治45) |
関連地域 | 三郷(一日市場) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(村政) |
経歴
1848年(嘉永1)、三郷一日市場に生れました。若い頃は、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武(しょうぶ)の精神の涵養(かんよう)に努めました。1895年(明治28)、衆望をにない、明盛村々長に就任しました。村内を7区に分けて区長を置き、任期を3年とするなどの改革をすすめました。1897年(明治30)に一旦退任しますが、そこから5年間、村政は村長・収入役・助役が相次いで辞職し不在となるなどの混乱を重ねます。この混乱は1903年(明治36)に百瀬が請われて村長に就任し、ようやく安定を取り戻し、百瀬は在職中に亡くなるまで連続3期村長を勤めました。日露戦争(1904年〜05年)中は、出征兵士やその家族を支援することに尽力しました。戦時にあって国の指示によって歳出削減が求められ、25%もの削減を余儀なくされましたがこれを乗り切りました。また「明盛村基本財産蓄積条例」を作り、無駄を省いて基金を蓄え、学校校舎の改築や火災などの災害に備えました。後年この基金は校舎建設などに大いに役立ちました。1908年(明治41)には、小学校統合計画をめぐる村内の反対運動を慰留説得、通学路整備などの措置によって解決しました。1912年(明治45)年、村長在任中に亡くなりました。
略歴譜
1848年(嘉永1) | 三郷一日市場に生れる。 |
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若い頃、農事に精励する一方、剣道を習い、尚武の精神の涵養に努める。 | |
1895年(明治28) | 衆望をにない、村長に就任する。 |
村内を7区とし、区長を置き、任期を3年とする改革をおこなう。 | |
1903年(明治36) | 明盛村村長に再任される。日露戦争があり、一般経費節約のために村費を25%削減する。 |
1905年(明治38) | 基本財産蓄積条例を作り、無駄を省いて基金を積み立て、学校の不慮の災害などに備えた。 |
1906年(明治39) | 明盛消防団の発展のために、器具置場の敷地を寄付し、消防団の基礎をつくる。 |
1908年(明治41) | 温明高等小学校への統合で反対運動が起こるが、遠距離通学費支給や道路整備を条件に説得して、平静になる。 |
この間に、組合会議員の辞職を説得したり、校名変更等をしたりして、さまざまな問題を解決する。 | |
1910年(明治43) | 村長に3選される。 |
1912年(明治45) | 村長在任中、旧校舎を教員住宅として整備等をしている中、亡くなる。 |
村民は、村長の逝去を惜しんで、村葬を行う。 |
参考文献
三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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