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百瀬 茂三郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052074 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

百瀬 茂三郎
ももせ しげさぶろう

天蚕飼育を成功させて、生産の拡大を図り、さらに天蚕種の製造と販売に力を注ぐ。

生年月日 1821年(文政4)
没年月日 1873年(明治6)8月8日
関連地域 穂高(古厩)
職業・肩書 蚕業功労者
活躍年 江戸時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

穂高古厩に生れました。正真院原が天蚕飼育に適することに着目し、上水内郡から種繭を調達して飼育に成功し、熱心にその拡張に努めました。初めは、収穫した繭を製糸が可能な安芸地方へ、安芸つむぎの原料として出荷しました。
 その後、利益の多い天蚕種製造に転じ、天柞蚕(てんさくさん)用の蛾籠(がかご・蛾が卵をうみつける籠)を考案して松本藩から表彰されました。製造販売量は年々増加し、飼育地は10ヘクタールに及びました。研究を続けて開発した天柞蚕用(てんさくさんよう)の蛾籠(がかご)が松本藩から表彰されました。1873年(明治6)8月8日に亡くなりました。

略歴譜

1821年(文政4) 穂高古厩に生れる。
  正真院原が天蚕飼育に適することに着目し、上水内郡から種繭を調達して飼育に成功し、熱心にその拡張に努める。
  収穫した繭を製糸が可能な安芸地方へ、安芸つむぎの原料として出荷する。
  利益の多い天蚕種製造に転じ、開発した天柞蚕用の蛾籠が松本藩から表彰される。製造販売量が年々増加し、飼育地は10ヘクタールに及ぶ。
1873年(明治6)8月8日 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

 

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