百瀬 茂三郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052074 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
百瀬 茂三郎
ももせ しげさぶろう
天蚕飼育を成功させて、生産の拡大を図り、さらに天蚕種製造と販売に力を注ぐ。
生年月日 | 1821年(文政4) |
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没年月日 | 1873年(明治6)8月8日 |
関連地域 | 穂高(古厩) |
職業・肩書 | 蚕業功労者 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
穂高古厩に生れました。正真院原が天蚕飼育に適することを認め、上水内郡から種繭を調達して飼育に成功し、熱心にその拡張に努めました。初めは、収穫した繭を製糸が可能な安芸地方へ、安芸つむぎの原料として出荷しました。
その後、利益の多い天蚕種製造に転じ、製造販売量が年々増加し、飼育地は10ヘクタールに及びました。研究を続けて開発した天柞蚕用(てんさくさんよう)の蛾籠(がかご)が松本藩から表彰されました。1873年(明治6)8月8日に52歳で亡くなりました。1949年(昭和24)に、貞明皇太后が当場御視察の際、百瀬家当主夫妻が記念撮影に列席しました。
略歴譜
1821年(文政4) | 0歳 | 穂高古厩に生れる。 |
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正真院原が天蚕飼育に適することを認め、上水内郡から種繭を調達して飼育に成功し、熱心にその拡張に努める。 | ||
収穫した繭を製糸が可能な安芸地方へ、安芸つむぎの原料として出荷する。 | ||
利益の多い天蚕種製造に転じ、製造販売量が年々増加し、飼育地は10ヘクタールに及ぶ。 | ||
開発した天柞蚕用の蛾籠が、松本藩から表彰される。 | ||
1873年(明治6)8月8日 | 52歳 | 亡くなる。 |
1949年(昭和24) | 貞明皇太后が当場御視察の際、百瀬家当主夫妻が記念撮影に列席する。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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