布山 瑞枝|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052075 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
布山 瑞枝
ふやま みづえ
寺子屋師匠から小倉村初代村長に。
生年月日 | 1838年(天保9) |
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没年月日 | 1911年(明治44) |
関連地域 | 三郷(北小倉) |
職業・肩書 | 自治功労者・寺子屋師匠 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
三郷北小倉に生れました。幼少の頃に、松本平田の寺子屋で習字や読書を学びました。1856年(安政3)、寺子屋を開いて習字や読み書きを教えること10余年、門弟数百人に及びました。1867年(慶応3)、長百姓になり、後組頭、戸長等を歴任しました。1885年(明治18)、科布村から分かれた。小倉村の初代村長となり、1893年(明治26)、小倉村長に再任され、鎮守山の一帯を役場・小学校敷地として村に寄付し、新しい村や学校づくりの基礎をつくりました。1897年(明治30)、3度目の村長就任となり、戸籍の整備・教育の充実・地券等の整備をすると共に、道路の改修・村有林の経営等村の発展のために尽力しました。
略歴譜
1838年(天保9) | 三郷北小倉に生れる。 |
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幼少の頃、松本平田の寺子屋で習字や読書を学ぶ。 | |
1856年(安政3) | 寺子屋を開いて習字や読み書きを教えること10余年、門弟数百人に及ぶ。 |
1867年(慶応3) | 長百姓になり、後組頭、更に副戸長となる。 |
1881年(明治14) | 科布村戸長後に連合戸長となる。 |
有明戸長に任ぜられ、北穂高村戸長を兼任する。 | |
1885年(明治18) | 科布村から分かれて小倉村となって、初代村長に推され、新しい村づくりに尽力する。 |
1891年(明治24) | 郡会議員に当選し1期勤める。 |
1893年(明治26) | 小倉村長に再任され、鎮守山の一帯を役場・小学校敷地として村に寄付し、新しい村や学校づくりの基礎をつくる。 |
1911年(明治44) | 亡くなる。 |
1923年(大正12) | 門弟等が集まって、小里頼永揮豪の筆塚を門前に建て、師の徳を偲ぶ。 |
参考文献
三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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