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布山 瑞枝|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052075 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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布山 瑞枝
ふやま みづえ

寺子屋師匠から小倉村初代村長に。

生年月日 1838年(天保9)
没年月日 1911年(明治44)
関連地域 三郷(北小倉)
職業・肩書 自治功労者・寺子屋師匠
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

三郷北小倉に生れました。幼少の頃に、松本平田の寺子屋で習字や読書を学びました。1856年(安政3)、寺子屋を開いて習字や読み書きを教えること10余年、門弟数百人に及びました。1867年(慶応3)、長百姓になり、後組頭、戸長等を歴任しました。1885年(明治18)、科布村から分かれて小倉村となって、初代村長に推されました。1893年(明治26)、小倉村長に再任され、鎮守山の一帯を役場・小学校敷地として村に寄付し、新しい村や学校づくりの基礎をつくりました。1897年(明治30)、3度目の村長就任となり、戸籍の整備・教育の充実・地券等の整備をすると共に、道路の改修・村有林の経営等村の発展のために尽力しました。

略歴譜

1838年(天保9) 0歳 三郷北小倉に生れる。
    幼少の頃、松本平田の寺子屋で習字や読書を学ぶ。
1856年(安政3)   寺子屋を開いて習字や読み書きを教えること10余年、門弟数百人に及ぶ。
1867年(慶応3)   長百姓になり、後組頭、更に副戸長となる。
1881年(明治14)   科布村戸長後に連合戸長となる。
    有明戸長に任ぜられ、北穂高村戸長を兼任する。
1885年(明治18)   科布村から分かれて小倉村となって、初代村長に推され、新しい村づくりに尽力する。
1891年(明治24)   郡会議員に当選し1期勤める。
1893年(明治26)   小倉村長に再任され、鎮守山の一帯を役場・小学校敷地として村に寄付し、新しい村や学校づくりの基礎をつくる。
1911年(明治44) 73歳 亡くなる。
1923年(大正12)   門弟等が集まって、小里頼永揮豪の筆塚を門前に建て、師の徳を偲ぶ。

参考文献

三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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