平倉 六郎右衛門|安曇野ゆかりの先人たち
平倉 六郎右衛門
ひらくら ろくろうえもん
勘左衛門堰(かんざえもんせぎ)改修。拾ヶ堰の開削。
生年月日 | 1759年(宝暦9) |
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没年月日 | 1841年(天保12)12月23日 |
関連地域 | 堀金(下堀) |
職業・肩書 | 庄屋 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
堀金下堀の庄屋の家に生れました。勘左衛門堰は、成相組代官二木勘左衛門によって、1685年(貞享2)に開削され、その後、百十余年間に幾度か修理が加えられましたが、水が十分に流れませんでした。1797年(寛政9)、各村の重立役が改修に応じないなか、率先してこれをまとめ、下堀金村の組合加盟にも尽力しました。堰改修の願人となって許可を得、翌寛政10年には、大規模な改修計画を立てました。工事担当人兼堰廻り役になり、徹底した設計を行い、この難工事を竣工させました。この功績によって、1800年(寛政12)藩から独御礼の待遇を与えられ、籾一石を賞与されています。
拾ヶ堰の開削では、1812年(文化9)、保高組大庄屋等々力孫右衛門宅に、六郎右衛門・中島輪兵衛・等々力孫一郎の3人が会し、開削を決め、川除(かわよけ)方青木新兵衛へ内上申し、六郎右衛門・輪兵衛は、堰路の内測量を命じられました。一か年余、命懸けの秘密調査が続けられた結果、1814年(文化11)、六郎右衛門・白沢民右衛門・中島輪兵衛・岡村勘兵衛・関与一右衛門の名義によって、内願書が差し出されました。工事は、1816年(文化13)2月から始められ、六郎右衛門は、輪兵衛と共に測量設計を担当し、種々の難関を乗り越えて、5月に見事に竣工しました。続いて、堰廻り役に任ぜられ、拾ヶ堰のために尽しました。1841年(天保12)12月23日、82歳で亡くなりました。
略歴譜
1759年(宝暦9) | 堀金下堀の庄屋の家に生れる。 |
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1797年(寛政9) | 勘左衛門堰の改修を率先してまとめ、下堀堰改修の願人となって許可を得る。 |
1798年(寛政10) | 大規模な改修計画を立てる。 工事担当人兼堰廻り役に任ぜられ、徹底した設計を行い、この難工事を竣工させる。 |
1812年(文化9) | 拾ヶ堰の開削では、保高組大庄屋等々力孫右衛門宅に、六郎右衛門・中島輪兵衛・等々力孫一郎の3人が会し、開削を決め、川除方青木新兵衛へ内上申する。 六郎右衛門・輪兵衛は、堰路の内測量を命じられる。 一か年余、命懸けの秘密調査が続けられる。 |
1814年(文化11) | 六郎右衛門・白沢民右衛門・中島輪兵衛・岡村勘兵衛・関与一右衛門の名義によって、内願書が差し出される。 |
1816年(文化13) | 開削は2月から始められ、六郎右衛門は、輪兵衛と共に測量設計を担当し、5月に竣工する。 続いて、堰廻り役に任ぜられる。 |
1841年(天保12)12月23日 | 亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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穂高町誌第二巻 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |
堀金村誌上巻 | 堀金村誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |
堀金村誌下巻 | 堀金村誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |