平林 金助|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052078 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
平林 金助
ひらばやし きんすけ
庄屋。加(嘉)助強訴の時の、副参謀。
生年月日 | 不詳 |
---|---|
没年月日 | 不詳 |
関連地域 | 堀金(下堀) |
職業・肩書 | 庄屋 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 社会(社会事業) |
経歴
堀金下堀に生れ、下堀金村の庄屋となりました。1686年(貞享3)に、多田加(嘉)助の強訴が、万一目的通りに運ばない場合は第2陣となることを安曇郡の杏村金井勘兵衛・耳塚村草間五郎治・矢原村浅井源助及び筑摩郡の大庭村西方定兵衛・岡田町橋瓜甚左衛門・水代村水代平之助等の同志たちと、密議していたと伝えられています。百方運動をして加(嘉)助の赦免を願い出、土方縫之助・鈴木伊織等百姓を思いやって尽力した役人もいましたが、1686年(貞享3)11月22日、多田加(嘉)助等の処刑が強行されてしまいました。正義の士が立ち上がることへの期待も空しく、松本領内から追放の刑に処せられ、それ以降の消息は一切不明のまま今日に至っています。
略歴譜
生年不詳 | 堀金下堀に生れる。 |
---|---|
下堀金村の庄屋となる。 | |
1686年(貞享3) | 安曇郡の杏村金井勘兵衛・耳塚村草間五郎治・矢原村浅井源助及び筑摩郡の同志たちと、多田加(嘉)助の強訴の第2陣を密議していたと伝えられる。 |
1686年(貞享3)11月22日 | 百方運動して加(嘉)助の赦免を願い出るが、多田加(嘉)助等の処刑が強行される。 |
松本領内から追放の刑に処せられ、それ以降の消息は一切不明のまま今日に至っている。 | |
没年不詳 | 亡くなる。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
---|