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平林 広人|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052079 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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平林 広人
ひらばやし ひろんど

信濃木崎夏期大学の創立者。デンマークの紹介、アンデルセン童話の原典翻訳。

生年月日 1886年(明治19)
没年月日 1986年(昭和61)
関連地域 豊科(上川手)
職業・肩書 文学研究家・教育者
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 文化(教育)

 

経歴

豊科上川手に生れました。1905年(明治38)、松本中学校(現深志高等学校)を卒業、語学に堪能で、独学でキリスト教地方伝導士試験に合格しました。郷里に帰り、松本中学校助教員を経て小学校教員に転じ、29歳で東筑摩郡陸郷小学校校長となりました。上京して、東京市長だった後藤新平の賛成協力を得て、夏期大学の開設に尽力しました。信濃鉄道株式会社社長今井五介の協賛で、木崎湖畔に「信濃講堂」が建てられ、1917年(大正6)8月、中央の一流の講師による「木崎湖夏期大学」が開講しました。デンマークの教員養成機関の「国民高等学校」に1924年(大正13)から3年間留学しました。帰国後は、大学で図書館学を講義して社会教育の普及に尽すと共に、北欧史を講義しながら北欧文化の紹介や翻訳に多くの業績を残しました。

略歴譜

1886年(明治19) 0歳 豊科上川手に生れる。
1905年(明治38)   松本中学校を卒業する。
  語学に堪能で、独学でキリスト教地方伝導士試験に合格する。
  郷里に帰り、松本中学校助教員を経て小学校教員に転じる。
  29歳 東筑摩郡陸郷小学校校長となる。
    上京して、東京市長だった後藤新平の賛成協力を得て、夏期大学の開設に尽力する。
    信濃鉄道株式会社社長今井五介の協賛で、木崎湖畔に「信濃講堂」が建てられる。
1917年(大正6)8月   中央の一流の講師による「木崎湖夏期大学」が開講する。
1924年(大正13)   デンマークの教員養成機関の「国民高等学校」に、3年間留学する。
  帰朝後、大学で図書館学を講義、社会教育の普及に尽す。
  東海大学に招かれ、同大学北欧文学科で北欧史を講義、傍ら北欧文化の紹介や翻訳に多くの業績を残す。
1986年(昭和61) 100歳 亡くなる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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