平林 盛人 |安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052080 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
平林 盛人
ひらばやし もりと
碌山美術館初代館長。穂高町長時代、美術館の誘致に尽力した。
生年月日 | 1887年(明治20)11月10日 |
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没年月日 | 1969年(昭和44)5月21日 |
関連地域 | 穂高(本郷) |
職業・肩書 | 地方自治功労者。 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
穂高本郷に生れました。1906年(明治39)に大町中学校(現大町高等学校)を卒業し、陸軍士官学校に入学しました。1916年(大正5)には、歩兵大尉・参謀本部員を勤め、陸軍大学に入学しました。1930年(昭和5)に十一師団高級参謀となり、上海事変に出征しました。1937年(昭和12)に陸軍少将となり、関東軍司令部として支那事変勤務に従事して、同じ年の9月に満州国最高顧問となりました。1944年(昭和19)5月、第4代目松本市長に就任しました。戦後は、前田電線工場長・穂高町教育委員を勤め、1954年(昭和29)11月には、穂高町長に就任しました。また、碌山美術館建設に尽力し、1958年(昭和33)4月に碌山美術館が開館し、初代碌山美術館長となりました。
略歴譜
1887年(明治20)11月10日 | 穂高本郷に生れる。 |
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1906年(明治39) | 大町中学校を卒業し、陸軍士官学校に入学する。 |
1916年(大正5) | 歩兵大尉・参謀本部員を勤め、陸軍大学に入学する。 |
1930年(昭和5) | 十一師団高級参謀となり、上海事変に出征する。 |
1937年(昭和12) | 陸軍少将となる。関東軍司令部として支那事変勤務に従事する。9月に満州国最高顧問に就任する。 |
1944年(昭和19)5月 | 第4代目松本市長に就任する。 |
1945年(昭和20) | 姫路で第十七師団師管区師令官となり、後に長野へ移駐する。 |
1947年(昭和22) | 前田電線工場の工場長及び穂高町教育委員となる。 |
1954年(昭和29)12月 | 穂高町長に就任する。 |
1958年(昭和33) | 碌山美術館建設に尽力して、4月に碌山美術館が開館し、初代碌山美術館長となる。12月に穂高町長に再選される。 |
1969年(昭和44)5月21日 | 亡くなる。 |
参考文献
わが回顧録 “渦巻のなかの善意” | 平林盛人・わが回顧録刊行会/発行 | 安曇野市図書館 |
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