米倉 龍也|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052081 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
米倉 龍也
よねくら りゅうや
産業組合・農業協同組合運動に専念し、「県農協の神様」と呼ばれ、全国農協中央会長にも就任し、大きな功績を残す。
生年月日 | 1885年(明治18) |
---|---|
没年月日 | 1980年(昭和55)10月 |
関連地域 | 堀金(上堀) |
職業・肩書 | 農業振興功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
堀金上堀に生まれました。松本中学校(現松本深志高等学校)を経て、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業しました。1910年(明治43)、千葉県農会技師となり、1916年(大正5)には、長野県学校組合立南安北部農学校(現穂高商業高等学校)長となりました。在学中から読書を最上の趣味とし、河上肇の「貧乏物語」に強い影響を受けて、産業組合運動に深い関心を持つようになりました。1920年(大正9)、長野県産業組合主事に就任し、以来50有余年、産業組合・農業協同組合運動に専念し、農村と農業の振興のために努力しました。この間、長野市議会議員・長野県信用組合連合会長・県農業協同組合中央会長・全国農業協同組合中央会長等を歴任し、衆議院議員・参議院議員にも当選しました。県産業組合・県農業組合の発展に尽し、「県農協の神様」と呼ばれました。
略歴譜
1885年(明治18) | 堀金上堀に生まれる。 |
---|---|
松本中学校(現松本深志高等学校)を経て、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業する。 | |
1910年(明治43) | 千葉県農会技師となる。 |
在学中から読書を最上の趣味とし、河上肇の「貧乏物語」に強い影響を受けて、産業組合運動に深い関心を持つ。 | |
1916年(大正5) | 長野県学校組合立南安北部農学校長となる。 |
1920年(大正9) | 長野県産業組合主事に就任して、50数年間、産業組合・農業協同組合運動に専念し、農村振興のために努力する。 |
この間、長野県信用組合連合会長・全国農業協同組合中央会長等を歴任する。衆議院・参議院各議員にも当選する。 | |
県農業協同組合の中央にあって組織をまとめ、「天意人行」を座右の銘として人材を養成する。 | |
県産業組合・県農業組合の発展に尽し「県農協の神様」と呼ばれる。 | |
農林学校時代から幅広い読書家で、歴史ものを特に愛好し、政治・文化評論・綜合雑誌・小説等を愛読する。 | |
1945年(昭和20) | 一流の画家や文人等にも交友が多く、石井柏亭らの協力を得て、第1回全信州美術展を実現させる。 |
1980年(昭和55)10月 | 死去。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
---|