望月 宗吉|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052086 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
望月 宗吉
もちづき そうきち
俳人。俳諧の師匠となり、牧舎10人で芭蕉の句碑を建てる。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 1883年(明治16)1月 |
関連地域 | 明科(上生野) |
職業・肩書 | 俳人 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
明科上生野に生れました。俳号を錦照・錦昇と称し、書を能(よ)くし、俳諧の師匠となりました。1849年(嘉永2)3月には、八幡宮境内に、催主となって牧舎10人で、芭蕉の句碑を建てました。1883年(明治16)1月に亡くなり、翌年5月に門下生が辞世の句碑を建て、「秋雨や我もこれから一寝いり 深老錦昇」と刻みました。
略歴譜
生年不詳 | 明科上生野に生れる。 | |
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俳号を錦照・錦昇と称する。 | ||
書を能くし、俳諧の師匠となる。 | ||
1849年(嘉永2)3月 | 八幡宮境内に、催主となって牧舎10人で、芭蕉の句碑を建てる。 | |
1883年(明治16)1月 | 亡くなる。 | |
1884年(明治17)5月 | 門下生が辞世の句碑を建て、「秋雨や我もこれから一寝いり 深老錦昇」と刻む。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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