望月 章齋|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052087 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

望月 章齋
もちづき しょうさい
画の指導。「鷹の章齋」と言われる。
| 生年月日 | 1814年(文化11) |
|---|---|
| 没年月日 | 1892年(明治25)12月25日 |
| 関連地域 | 穂高(等々力) |
| 職業・肩書 | 日本画家 |
| 活躍年 | 江戸時代以前 |
| ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
穂高等々力に生れました。幼いころから絵画を好み、江戸で狩野洞章に師事し、画作の技を磨き、名声が大変に高まりました。その後、郷里に帰り、盛んに画作し、多くの弟子が門下に集まりました。 特に鷹を描くことに長けて、その作品が多く各地に残り、「鷹の章齋」と親しまれました。また、章齋は、穂高神社蔵の百人一首の額画を作りました。能書家でもあり、高島章貞とも親交を持ちました。門弟では、青柳柳斎・丸山雲章等が知られています。1892年(明治25)に78歳で亡くなり、等々力の藤塚に葬られました。
略歴譜
| 1814年(文化11) | 穂高等々力に生れる。 |
|---|---|
| 幼いころから絵画を好み、江戸で狩野洞章に師事する。 | |
| 刻苦勉励技大いに進み、名声がとみに高まる。 | |
| 帰郷後、盛んに画作し、多くの弟子が門下に集まる。 | |
| 特に鷹を描くことに長けて、その作品が多く各地に残り、「鷹の章齋」と親しまれる。 | |
| 1892年(明治25)12月25日 | 亡くなり、等々力の藤塚に葬られる。 |
参考文献
| 南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
|---|---|---|
| 穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
| 安曇野の美術 | 丸山楽雲/編 | 安曇野市立図書館 |
| 1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 | 総合遺作展実行委員会/編 |




















