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務台 伴語|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052093 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

務台 伴語

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務台 伴語
むたい ばんご

野沢黌師匠(この地方、最初の小学校)、歌人。

生年月日 1814年(文化11)
没年月日 1887年(明治20)11月27日
関連地域 三郷(野沢)
職業・肩書 歌人・塾生
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(教育)

 

経歴

三郷野沢に生れました。幼少の時から学問を好み、陽明学を熊本の横井指山に、書を江戸の関其寧に、謡曲を高遠の熊谷氏に、俳句を京都の梅室素芯に、挿花を松本の松露斎に学びました。本居学派に属し、中村英碩・松岡平臣等同学の士と共に、江戸の田喜庵、松本の伊藤平馬、藤井小弥太等の名士と交友を深めました。天保年間、善光寺奉額百句選句巻頭の「蝉なくや臼になる木ときねの木と」の名句を残しました。地方文化の先駆者として、若い時から家塾を開き、以来40余年、その門に学ぶ者1,000余人、松本等各地からも多数来塾しました。1873年(明治6)、家塾を「野沢黌」とし、この地方で最初の小学校となりました。

略歴譜

1814年(文化11) 0歳 三郷野沢の左衛門の次男に生れる。通称を「伴右衛門」という。
陽明学を熊本の横井指山に、書を関其寧に、謡曲を熊谷氏に、俳句を梅室素芯に、挿花を松露斎に学ぶ。
本居学派に属し、中村英碩・松岡平臣等同学の士と共に、江戸の田喜庵、松本の伊藤平馬、藤井小弥太等の名士と交友を深める。
善光寺奉額百句選句巻頭の「なくや臼になる木ときねの木と」の名句を遺す。
明治初年   名前を「伴語」に改名する。別に「景貞」のほか「大遺」「景年」「啓」とも号する。
1873年(明治6)   家塾を「野沢黌」とし、この地方で最初の小学校となる。
1884年(明治17)   家を長子の精一に譲り、以後、詩歌山水を友として過ごす。
1887年(明治20)11月27日 73歳 病気のため亡くなる。
門下生が師の遺徳を追慕し、邸前に碑を建て、その事績を後世に伝える。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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