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Q&A

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

もっと知りたい

Q 加助たちの差し出したお願いとは
A  5か条の願いが書かれています。第一のぎ踏み磨きは迷惑であること
年貢は二斗五升挽きにしてほしいことその他、百姓負担の軽減のこと願いか、怒りか・・・。
Q 訴訟の項目の順番は
A 1番目はのぎふみ磨きはやめてほしい。
  2番目は年貢は二斗五升にしてほしい
  3番目は年貢の5%の大豆での納めは米値段で取ってほしい
  4番目は藩が業者に売る米の運搬は藩境までにしてほしい
  5番目は藩が雇う小人(雑役労働者)の給金はちゃんと払って欲しい
Q 時の松本藩主は?
A 水野忠直公です。ちょうど江戸参勤中のことでした。ですからこの騒動への対応は
松本を預かっていた家老らが中心になって、藩主へ報告しながら行ったのです。
Q 水野家のその後はどうなった?
A なんと、騒動からおよそ40年後藩主乱心のため改易されますが・・・。加助のたたり?
Q 二斗五升挽きとは?
A 年貢は籾で納めます。その籾一俵(5斗入れ)を玄米に挽いたとき、玄米が二斗五升取れる入れ方を二斗五升挽きといいます。 松本藩は三斗挽きだったのです。 実際は俵一俵の籾からは2斗5升の玄米しか取れません
Q のぎふみみがきって何だろう? 訴え文の1番目はこれを止めてほしいと
A 昔、この辺りで作られていたお米(こぼれ)には、もみに長い毛(のぎ)がついていました。 この長いのぎを全部取ってから俵につめよと、藩は指示してきたのです。
Q 加助さんはなぜ二斗五升を主張し続けた?
A 騒動の2日目、松本藩は奉行名で「年貢は今までとおり、引き上げはしない」と回答してきます。多くのお百姓さんはそれを聞いて喜んで村へ帰ってしまいます。しかし加助さんたちは二斗5升びきを主張し続けます。なぜでしょう。そこには松本藩の年貢収納のやり方に対する不信があったと思われます。
Q どうしてあんなに多くの人が犠牲に?
A この騒動では28名もの多くの人々が犠牲になりました。死罪にはならなかったものの追放とか永牢などに処せられた人もいます。 罰の厳しさは逆に藩の方が百姓の怒りに恐れを感じていた ことを感じさせます。
Q この頃の米作りは?
A 天候 米の品種 農作業 実収量は?松代藩のデータでは1反あたり3石ほど取れています。
となると年貢は石盛の6割としても1反当り1石ほど、百姓は1反当り2石ほどの収入ということに・・・
Q どんな農具が使われた?
A 千把こきはまだ発明されておらず、こきばしというもので脱穀 田畑の作業は人力がたより
Q 江戸時代の村の様子は?
A 『信府統記』には当時の人口構成が載っており、『御用留め日記』には村の様子が書かれています。村には百姓が住み、しっかりした自治を敷いていたのです。
Q 自由民権運動とのかかわりは?
A 松沢求作は加助騒動を芝居「民権鑑加助の面影」に書きました。求策を指導したのは豊科の藤森寿平、木曾の武井用拙ら です。求策は言い伝えや古文書からこの騒動の研究を進めました。そして研究成果の発表を演劇という手法で行ったのです

近隣の小学生が学習のために来館しています。小学生はこんな疑問を出してくれました(一部です)。
Q 松本領ではどうしてこの年(貞享3年)年貢を増やそうとしたのでしょうか
   松本領が他より年貢が高いのはどうしてですか
A 松本の領主は譜代大名です。譜代の大名は幕府の御用も多く幕府の要職に就くための出費も多かったのです。
  参勤交代などの費用も馬鹿になりませんでした。だからお金が十分にあるとはいえなかったと思います。
Q なぜ お奉行やご家老に直接訴えることは許されなかったのですか
A  身分制度を守る為にはできるだけ意見を言わせないことが大事です。お百姓さんたちの意見を押さえ込むには面倒な手続きを踏ませたり、意見をいいう事を禁止したりしたのです。
Q 「のぎ踏み磨き」とはどういう作業ですか
A もみについている長い毛のようなもののことです。こき箸での脱穀ではこののぎは取れません。のぎの付いたまま年貢の俵に入れるとどうしても玄米の量が少なくなってしまいます。だからお侍達はこののぎをすべて取れと命じた のです。
Q 百姓一揆のことが幕府に聞こえるとなぜいけないのですか
A  江戸時代の初め頃幕府は多くの大名をとりつぶしました。幕府に逆らいそうな大名や政治がうまくできない大名などです。松本で激しい百姓一揆が続いていると言うことが幕府に知れると、ひょっとすると水野はうまく治めていないから大名を辞めさせてしまえと言われるかもしれません。
Q ご家老が「2斗5升挽き」と言っているのに、どうしてお百姓さんが「三斗挽きでいい」と言うのですか
A この騒動に集まった多くのお百姓さんたちの願いは、もともと「2斗5升挽き」の実現ではなく、貞享3年の年貢の引き上げをやめさせることだったと思われます。加助さんの主張は理解していなかったのではないでしょうか。「三斗挽きなら暮らしに困らないと言うようなこともあったのかもしれません。
Q 加助さんはどうして命を懸けた行動ができたのですか
A 難しい質問です。ただ昔の人の中には(今でもそうかもしれませんが)人のために命を捨てると言うことは人間として立派な事なのだと言う考えがあったのではないでしょうか。いじめられている友達をみて、自分もやられるかもしれないけれど勇気を持ってやめろよというのと同じだと思います。