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相馬 良(そうま りょう)
新宿中村屋の女主人 「黒光」の異名
「アンビシャス・ガール」「黒光」「新宿中村屋の女主人」…。
小説『安曇野』に最も長く登場する相馬良は、その性格や人柄から呼び名がいくつもあります。
1875年、旧仙台藩士の家に生まれた良は、没落した士族の末裔として貧しい生活を余儀なくされました。それでも、向上心の強い姿から「アンビシャス・ガール」と呼ばれるようになりました。文学に興味を持ち、島崎藤村らが教えていた明治女学校(東京)に進み、2代目校長の巌本善治からは「溢れる才気を少し黒で隠しなさい」という意味が込められた『黒光』の号をもらい受けました。
同校卒業後に相馬愛蔵と出会い、22歳の頃に愛蔵の故郷・穂高へ移住しました。しかし、慣れない生活に体調を崩して上京。当時まだ目新しかったパンに目を付け、愛蔵とともにパン屋「中村屋」を創業しました。
新宿に支店を開いて以降、穂高出身の彫刻家・荻原守衛(碌山)ら芸術家が集うようになり、「中村屋サロン」の中心人物となりました。サロンで芸術家らを支援したり、インド独立を志すラス・ビハリ・ボースを保護したりした優しさの背景には、苦しかった自身の幼少期が影響しているとも考えられています。
ゆかりの場所 「穂高の万水川」
「絵がお好きなのですね。いつも、こうして描いてらっしゃるの?」
「忙しくって駄目さ。冬はひまにゃなるが、寒くなっちまって…」
(小説『安曇野』第1部 その三より引用)
小説内で、良は穂高に移住後、万水川の近くで水彩画をしていた荻原守衛と出会います。守衛は、良から文学や芸術の知識を吸収し、良が持ってきた油絵を見て芸術家を志すようになったといいます。
【写真:穂高の万水川】