本文
相馬 愛蔵(そうま あいぞう)
中村屋創業者 社会的弱者の味方
故郷の穂高から上京し、妻の良とパン屋「中村屋」を創業。先を見据えた経営手腕で、中村屋を大きく繁盛させました。一流商人としてだけでなく、社会的な弱者たちを支えたことでも有名です。
1901年に上京した愛蔵と良は、1日のうち2食をパン食にする生活を3カ月間続け、パン食は便利で将来性があると判断してパン屋を開業。愛蔵は支店を出す際、殺風景だったが「将来の発展の上から市内電車の終点以外に適地はない」と、新宿に目を付けました。その考えは的中し、1909年には新宿の支店を本店にするほどの好調ぶりでした。
関東大震災が起きた際はパンなどを夜通しで作り、原価に近い価格で被災者に販売。中村屋の信用が大きくたかまるきっかけとなりました。愛蔵は自著『一商人として』の中で、「金を儲けようとして商売をしなかった」と振り返っています。
1954年に83歳で亡くなりますが、その経営手腕で発展させた中村屋は、現在も多くの人から愛され続けています。
ゆかりの場所
相馬の洋館で、幾晩も議論と協議をくりかえした末の結論はこうであった。喜源治は転任を拒否すること。禁酒会が中心になって、村びとに呼びかけ、官学に対抗して私学をつくること。
(小説『安曇野』第1部 その一より引用)
安曇野市穂高白金(当時の白金村)にある相馬家の洋館は、第1部の舞台として何度か登場します。序盤では、愛蔵の仲間たち洋館に集い、私塾「研成義塾」の創設に向けて議論を重ねた様子が描かれています。その洋館は現在も残っており、当時の面影を感じることができます。
【写真:相馬家の洋館】