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佐藤 嘉市(さとう かいち)

記事ID:0110117 更新日:2024年2月9日更新 印刷ページ表示

「常念校長」の異名 臼井吉見に影響与える

 小説『安曇野』の作者、臼井吉見に大きな影響を与えた人物の一人に佐藤嘉市がいます。小説内では第3部において、佐藤藤山(とうざん)の名前で登場。「常念校長」として知られる佐藤の人となりが詳細に描かれています。 

 佐藤は1877(明治10)年に現在の飯山市に生まれ、長野県内で教員となります。埴科郡で学校教育の指導・助言を行う「視学官」だった際、聖山から常念岳を望み、その美しさに惹かれました。

 自ら希望して1916(大正5)年、常念岳の麓の堀金尋常高等小学校(現・堀金小学校)に校長として着任。39歳の時でした。朝礼では「常念を見よ」と子どもたちに呼び掛け、その美しさを讃えたことから「常念校長」と呼ばれるようになりました。

 同校での在職期間は2年4カ月余でしたが、その間に常念岳調査のために登山を実施。住民の協力を得ながら、前常念岳への石室の建設と三股から前常念岳までの登山道の開拓を果たしました。

 佐藤はその後、故郷に戻って校長を務めた後、郷土の振興に尽力しました。

佐藤嘉一

ゆかりの場所

もう一つ、佐藤校長について忘れられないのは、月曜日ごとの朝礼であった。朝礼の校長訓話は、常念岳の話にかぎられていたといってもよかった。常念を見ろ、今朝は御機嫌がいいと見えて、あのとおり晴れている。―常念を見ろ、今朝はあいにく姿を見せてくれないが、よく勉強して明日の朝お目にかかろう。―常念を見ろ、今朝はもう雪をかぶっているが、ちっとも寒がってなんかいない、などなど。

(小説『安曇野』第3部 その十七より引用)

臼井吉見が堀金尋常高等小学校3年生のとき、佐藤嘉市が校長で赴任してきます。臼井自身も朝礼の際に聞いた訓話のエピソードが、小説内で触れられています。

常念岳と堀金小学校

【写真:常念岳と堀金小学校】​

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