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中村 彝(なかむら つね)
中村屋サロンのひとり 何点もの傑作残す
全5部作からなる小説『安曇野』。洋画家の中村彝は、大正時代を舞台とした第3部で主要人物の1人として登場します。中村屋を創業した相馬夫妻の長女俊子との失恋、闘病生活といった苦難が続いた人生ですが、洋画家として何点もの傑作を残しました。
現在の水戸市出身で、軍人を志しますが17歳で肺結核となり断念。洋画家になりたいと考え、荻原碌山からも影響を受けました。
1911年、新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻の厚意で中村屋裏のアトリエへ。俊子をモデルにした油彩画が文展で三等賞になるなど洋画家として活躍しますが、相馬家からは俊子との恋愛を反対されて確執が深まりました。
失意に暮れながらも、落合村下落合(現・新宿区下落合)にアトリエを新設。洋画家の鶴田吾郎と競作した「エロシェンコ氏の像」(1920年作、重要文化財、東京国立近代美術館所蔵)は、近代日本の肖像画の傑作として高く評価されています。
その後も精力的に絵を描きましたが、結核のため37歳という若さで生涯を閉じました。
ゆかりの場所
目白の駅から落合村にむかって四五町歩き、郵便局の近くで小路を左にまがると右手に元結工場の広場があって、正面に赤い瓦のアトリエの屋根が見えてくる。
(小説『安曇野』第3部 その六より引用)
安曇野市内に中村彝ゆかりの場所はありませんが、JR山手線「目白駅」から徒歩10分の場所に、中村彝アトリエ記念館(新宿区下落合)があります。当時のアトリエを復元・整備した上で公開しており、中村彝の生涯や作品をパネルや映像で紹介しています。
【写真:中村彝アトリエ記念館の内部】