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広報あづみの連載 小説『安曇野』を読もう【第1部】

記事ID:0138373 更新日:2026年7月23日更新 印刷ページ表示

『安曇野』は明治から昭和にかけての日本を舞台に、実在する人物たちの活躍する様子が描かれている読みごたえのある作品です。広報あづみので16回にわたり『安曇野』のあらすじ・見どころを紹介してきました。筆者は、元安曇野市文書館 館長の平沢重人さんです。

第1部(その一〜その六)

明治31年の穂高が舞台

​​物語は明治31(1898)年12月の東穂高村(現在の安曇野市穂高)から始まります。相馬良(黒光)は前年、夫・相馬愛蔵の故郷であるこの地に移住。良は、慣れない土地で開催する2回目のクリスマス会を準備しながら、日々の生活に不安を募らせています。

『安曇野』の起点が明治31年なのは、11月に教育者の井口喜源治らが私塾「研成義塾」を創設したことも背景にありそうです。なぜ私塾を立ち上げることになったのか。その理由が第1部前半で語られます。矢原の集会所を借りて始まった塾の描写は、私たち市民にとって興味深い部分でもあります。

荻原守衛の少年時代が描かれている点も、第1部前半の見どころです。良と守衛との出会いは、第2部の大きなテーマとなっていきます。また、穂高出身で自由民権運動の先駆けとなった松澤求策の活躍もあるなど、第1部前半は地元出身の先人たちの活躍を知れる部分でもあります。

こうした描写を挟みつつ、クリスマス会に出席予定の木下尚江の到着を待っている場面で、第1部前半は終わります。

主な登場人物

■相馬 良
夫・愛蔵と「中村屋」を創業。芸術家など文化人が集う「中村屋サロン」の中心的な人物
■相馬 愛蔵
白金村の養蚕農家だったが、上京して妻の良と「中村屋」を創業。文化・芸術活動の支援にも尽力
■井口 喜源治
仲間の支援を得て私塾「研成義塾」を創設し、国内外で活躍する人材を育成
■荻原 守衛
日本近代彫刻の先駆者。欧米で美術を学び、ロダンの「考える人」を見て彫刻家を志す

第1部(その七〜その一三)

黒光女史の誕生

​​ 小説『安曇野』の第1部から第3部の登場人物の中で、出演数一番を誇る木下尚江が登場します。その七から十一までのぺージほとんどが、尚江の出生や家庭環境、初恋、結婚、法律家への思いなど、尚江自身の言葉で語られています。それも、弁舌の名家と言われる尚江らしい名調子で、延々とつづられています。

この尚江の対話の相手の一人に風巻久美子がいます。久美子は『安曇野』の中で唯一の架空の人物。彼女は編集者なのか、それとも久美子の名前が消えた後に臼井本人が登場するということは。そんなことを考えながら読み深めるのも楽しいかもしれません。

一方、この部分で外せないのが相馬良の言葉です。「男という男は卑怯、女に対しては」(その十一)、「これは、わたしの田舎についての、あらましの観察ですわ。なにも穂高の村がどうの、こうのというのではないわ」(その一三)と語り、慣れない穂高での暮らしにいらだちを見せ始めます。

そして、一三の終末で愛蔵が「おれも、だいたいは察しがついた。でも、これほどとは思わなんだ。とっくり考えてみることにする。」と良に伝え、いよいよ上京。「類稀なる女性実業家・黒光女史」のストーリーが始まります。

登場人物に寄せて 木下尚江

​■木下 尚江
松本中学校、東京専門学校(現早稲田大学)に学ぶ。幸徳秋水らと社会民主党を結成。弁護士/社会運動家/作家/記者

木下尚江書

目を閉ちて拝む我身の活き佛迷ふ心そすくひなりける 尚江 
木下尚江書(市文書館「木下尚江資料1」)

​第1部(その一四~一八)​

難解小説たるゆえん

穂高での新生活を送る相馬良は病を発症します。その治療のため愛蔵は、東京での生活を決断。「『東京の匂いがするよ』良は、鼻をくんくんさせて喜んだ。」その一四は、この言葉から始まります。時を同じくして荻原守衛の明治女学校深山軒での生活もスタート。絵画研修のための渡米であったはずの守衛に女性の影が見え隠れするなど、守衛、巌本善治明治女学校長、愛蔵、良らのこんとんとした男女のドラマが展開していきます。

その一五では、田中正造の足尾銅山の渡良瀬川鉱毒問題に加え、幸徳秋水が万朝報に発表した「非戦争主義」へと物語が展開します。そして井口喜源治創設の研成義塾新校舎が穂高の三枚橋に設立される一六に続いていきます。

小説『安曇野』では、登場人物の対話が、場面や年代を超えて滾 々汨々※と表現されていきます。これが難解小説たるゆえんで、読者がこの展開に惑わされるところです。

第1部最終章のその一八では、新宿中村屋につながる居抜きのパン屋を七百円で購入します。第2部では、日露戦争勃発や渡米した守衛の彫刻家への転身、新宿中村屋創業、そして守衛の吐血へとつながっていきます。

滾々汨々

「こんこんこつこつ」または「こんこんいついつ」と読みます。臼井吉見が好んだ言葉で、墓碑銘にもなっています。
安曇野の湧水のように言葉が次々と湧き出る様子を表しています。

臼井吉見墓碑

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