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広報あづみの連載 小説『安曇野』を読もう【第3部】

記事ID:0138543 更新日:2026年7月23日更新 印刷ページ表示

『安曇野』は明治から昭和にかけての日本を舞台に、実在する人物たちの活躍する様子が描かれている読みごたえのある作品です。広報あづみので16回にわたり『安曇野』のあらすじ・見どころを紹介してきました。筆者は、元安曇野市文書館 館長の平沢重人さんです。

第3部(その一〜その六)

相馬家の長女・俊子への熱愛

この巻の舞台は大正時代。中村屋サロンで繰り広げられる人間模様、信州教育界での白樺派教師の動向、そして大逆事件のてん末などが臼井の真骨頂・登場人物同士の対話で展開されていきます。

相馬家の長女として生まれた俊子は、愛蔵の兄・相馬安兵衛の了承を得て愛蔵・良のもとへ上京します。荻原守衛が亡くなり、中村屋隣接のアトリエで制作に熱中していた中村彜の被写体は俊子です。二人の関係に介入する良の姿は、娘を思う母親の情というよりは、二人の関係に嫉妬するひとりの女性の姿として表現されています。「お前は狂人に走るのか、家にとどまるのか、どっちかと切り込まれて、俊子は泣き伏した。泣き止んだ俊子から家を出るつもりはないという返事をもぎとった黒光の顔に、勝利者に似た笑顔が浮かんだ。」と書かれているのがその六です。

その四では大逆事件の様子が展開されていきます。明治天皇の暗殺計画の結末が宮下太吉らの人物名を挙げながら丁寧に記されています。結びは「ともかく忠君愛国は、明治という時代をつくったにちがいない。しかし、このまま進むかぎり、大正の時代はこの忠君愛国で亡び去ること疑いなし」と木下尚江の心情が語られています。

その七からボース、エロシェンコが登場します。相馬黒光が『世界に感動を与えた日本人』平和篇(2017年評論社)の12人に選ばれたゆえんとなる場面です。

明科歴史民俗資料館(当時)の大逆事件コーナー展示資料

明科歴史民俗資料館(当時)の大逆事件コーナーで展示されていた資料(市文書館収蔵)

第3部(その七〜その一三)

中村屋カリー&ボルシチ誕生秘話

昭和2年、新設された新宿中村屋喫茶部のメニューにスパイシーなインドカリーとロシア料理ボルシチが登場します。そして店員の制服は、
ロシアの民俗衣装ルパシカです。このメニューは、その七に登場するインド独立運動家ラス・ビハリ・ボースと、その九に登場するウクライナから来日した盲目の詩人ワシリー・エロシェンコが関係しています。このいきさつは、相馬愛蔵著『一商人として』(昭和一三年岩波書店)に詳しく書かれています。

その八では、相馬夫妻と日本への亡命を決意したボースとの出会いがつづられています。そしてその一二では、ボースと相馬夫婦の長女俊子
との結婚が描かれています。二人の子どもに恵まれますが、俊子は愛児を残し26歳で急逝します。その後、ボースは日本に帰化し、防須と名乗り相馬家と生涯にわたり家族ぐるみの付き合いを重ねていきます。

エロシェンコのプロフィルはその九に描かれています。彼が伝える「白鳥の一群が過ぎたのちは、空に雲一つなく、地平線へつづく野づらには、ところどころに白樺やポプラのかたまりが見えるばかり」という描写は、故郷ウクライナの情景が目に浮かんできます。彼をめぐる女性関係も興味深いですが、彼の言葉で大杉栄事件や神近市子が語られるのがその一〇。そしてシベリア出兵や米騒動が語られるのがその一一、関東大震災も彼の言葉です。臼井吉見は、なぜエロシェンコに語らせたのか想像できるのがこの第3部です。

一商人として

一商人として

■一商人として(相馬愛蔵著・昭和13年岩波書店)
「新宿中村屋」創業者である相馬愛蔵が創業の精神や経営方針を記した書。市内の図書館で読むことができます。

第3部(その一四〜その一八)

臼井の真骨頂、どこを読んでも納得

中原悌二郎の名作「若きカフカス人」の誕生、「信濃のアルテ」と呼ばれた斎藤茂の登場、白樺派教師を迎える碌山館(碌山生家)の老夫婦、佐藤藤山(嘉市)校長が子どもたちに呼びかけた「常念を見よ」、高村光太郎と智恵子の狂おしさ、南安曇教育会(現安曇野市教育会)初代会長の岡村千馬太の「東西南北会」発足、雑誌「信濃不二」編集長の会田血涙が「田中紅涙」として登場など、この五つの章は臼井自身が語っている「開いたところを気に入って読んでいただければ結構」を代表しています。

その中で、特筆されているのは、雑誌「白樺」につながる信州白樺教育です。実は小説『安曇野』で安曇野が舞台となる場面はそう多くはありません。その舞台がこの一五~一八にあります。東京帝国大学を卒業し、福島県双葉中学校(現双葉高校)を初任校に三八歳まで教壇に立ってきた臼井にとって、教育に寄せる思いには、強いものがありました。そんな臼井の熱意が伝わる章です。

その一八では、戸倉事件と倭事件により教職を追いやられ、若くして生涯を終えた中谷勲が白樺教育に陶酔する中で、子どもたちに向けた愛の言葉が彼の日記を通して記されています。「四月一日(略)俺は胸がいっぱいだ。わが心、安曇野に通ふ。安曇野の子供、安曇野の自然を思ふとたまらない」と続きます。

碌山館(荻原守衛生家)

荻原碌山生家

現在の碌山美術館が創設されるまで、碌山の作品が収蔵、展示されていた碌山館(荻原守衛生家)。白樺派教師らと井口喜源治が訪れた場
所であり、臼井吉見自身も松本女子師範勤務時代に生徒を引率し訪れています。

第3部(その19〜24)

大きく動く時代に召される多くの命

大正7年の米騒動やシベリア出兵の失敗等が発端となった労働組合運動、そして婦人参政権が盛り上がりを見せた大正期後半。そんな大正期も12年9月1日の関東大震災を契機に世相が荒廃していきます。そして治安維持法が制定されるなど国政も大きく動きます。

この激動の時代、相馬良や木下尚江が惹かれた静座法の創設者・岡田虎二郎に続き、荻原守衛に感化を受けた中原悌二郎が亡くなるのが一九です。この章で、失業対策や最低賃金法の制定等を決議した日本で初のメーデーが行われ、社会運動家大杉栄が登場します。

二〇ではエロシェンコがロシアへ移送されます。その違法性を訴えた相馬愛蔵の正義感や人権感覚がエロシェンコを拘束しようとした警官と愛蔵が交わす言葉によって臨場感をもって伝わってきます。二一では相馬良の従姉である佐々城信子をモデルとした『或る女』の著者・有島郎が心中事件をおこします。

二二は熟読してしまう章です。関東大震災が起こり、大杉栄が甘粕に謀殺されます。震災直後、相馬愛蔵は「こな時こそ、全力をあげて、お得意様に奉仕しなくては」と話します。朝鮮人への無根拠な風説が出回り、彼らへの暴力行為が発生している時、相馬良は「政治的には、いろんな問題もあるでしょうが(中略)個人としては何の恨みもない」と言い切ります。この言葉こそが彼女が『世界に感動をあたえた日本人(国際理解・平和編(2017年評論社))』の12人に推されたゆえんです。

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