貞享騒動に関わる旧跡
1 熊野神社
加助ら首謀者が年貢の減免を訴えるため、たびたび密議を行った場所といわれています。
2 貞享義民社
多田家の祭神として祠を貞享騒動後50年目の享保20年にその邸内に建立したのが始まりといわれています。
加助木像はこの神社に安置されています。
3 二斗五升の碑
「二斗五升 語り伝えよ 稲の波」は、俳人柿之本芳月の句。
貞享義民社境内にあるこの碑は、農民の叫びを後世に伝えています。
4 貞享義民顕彰慰霊碑
貞享騒動300年を記念して昭和61年に建立されました。
碑の表面には処刑された28人の名が、裏面には「建碑の辞」が刻まれています。
5 多田加助の墓
貞享義民社の西北裏手にあり、「悟雪承頓居士」の戒名が刻まれています。
6 小穴善兵衛とその家族の墓
善兵衛は、同志の副頭領格で加助と共に中心的存在であったと伝えられています。
おしゅんも共に眠っています。
7 いちょう堂
小穴善兵衛の妻お里は、ひとり残され尼となりました。
そして墓地の近くに庵を建て、家族の菩提を弔ったと伝えられる場所です。
8 騒動50周年忌供養塔
この供養塔は、平成12年10月に安曇野市三郷楡地区の墓地で発見されました。
9 首塚
処刑された加助一家4人の首が埋められたと伝えられている所です。
10 熊倉の渡し
加助たちを捕らえた役人が渡し場へ来ると、船頭は船を出すのを拒んだといわれている所です。
11 義民塚
昭和25年に発見された多くの人骨は、義民の遺骨であることが判明しました。
この義民塚には、勢高の刑場と出川の刑場で処刑された28柱が合祀されています。
12 水野家廟所(松本市玄向寺)
初代忠清から四代忠周までは正室とともに、五代忠幹は単独で眠っています。
最近の調査でどの墓にも遺骨が葬られていることが確かめられました。
13 出川の刑場
筑摩郡出身の義民11人が処刑された刑場跡地です。
現在は3つの碑が建っています。