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身近にある神社やお寺のこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

市内のそれぞれ地区には、かならずと言ってよいほど神社やお寺があります。

このなかには、今から500年ほど前の中世(ちゅうせい)という時代から、ちいきの人びととかかわりをもっていた所もあります。そのことは、「古文書(こもんじょ)」という、当時の人びとが書いた手紙など、古い文書から知ることができます。

古文書から、このころの神社や寺と、地域の人々の関わりが輪kライます。

 
穂高神社(ほたかじんじゃ)につたわる中世の記ろくからは、安曇野やそのまわりにあった村が、穂高神社のお祭りにかかる費用(ひよう)を出しあっていたことがわかります。

穂高の牧にある満願寺(まんがんじ)には、中世の終わりにあたる戦国(せんごく)時代に書かれた古文書がいくつかのこっています。このころ豊科に住んでいた細萱長知(ほそがやながとも)という武士(ぶし)は、満願寺に土地を寄付(きふ)する文書を書きました。また松本城の城主(じょうしゅ)であった小笠原貞慶(おがさわらさだよし)は、満願寺へお参りにきた安曇郡(あづみぐん)や筑摩郡(ちくまぐん)の人びとへ「寺の境内(けいだい)でけんかをしたり言いあらそったりしてはいけない」、とする文書をのこしています。満願寺はこのころから松本平じゅうの人びとに信仰(しんこう)されていたようです。

明科東川手の“潮神明宮(うしおしんめいぐう)”には、日岐盛直(ひきもりなお)という武将(ぶしょう)が田んぼを寄付したという古文書がのこっています。

私たちの身近にある神社やお寺が、武士など力のある人たちに守ってもらったり、ちいきの人びとにささえてもらったりしながら、中世という時代を生きぬいてきたことがわかります。

中世から現在まで何百年ものあいだ、私たちの先祖(せんぞ)が守り続けてきた神社やお寺、そしてそこに伝わる古文書などの文化財(ぶんかざい)は、これからも大切にしてみらいの人たちに引きついでいきたいものです。