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見慣れた駅の姿を守り線路のように続くつながりを

記事ID:0133618 更新日:2025年9月18日更新 印刷用ページを表示する

「踏切の音は生活音」と話す安曇追分駅の見守り隊

安曇追分駅を愛する会の事務局として、会の発足から活動を支えている竹内さんに話を聞きました。

ホームを背にする竹内悦子さん  

竹内悦子さん 

1951年北穂高生まれ。「穂高絵本とお話の会」会員として小学校やこども園、図書館等でお話会や読み聞かせのボランティアを行っている。趣味は寺巡りと時刻表を見ながら空想の旅をすること。​​

つながりが深まっていく駅

新聞で駅の無人化のことを知り、令和2年2月から駅員の在中を願って署名活動などを行いました。このとき中心となって動いたメンバーで翌年3月に「安曇追分駅を愛する会」が発足しました。発足後初めての活動は、駅舎南側の花壇整備。重機で土を盛り縁石を並べ、会員が持ち寄った花の苗や球根を植えました。パンジーやマリーゴールドがきれいに並んでいるような花壇ではありませんが、多種多様な花が植えられており、春先にはフクジュソウ、夏にはアヤメなど季節によって姿が変わります。草取りなどの手入れも定期的に行っており、時折JRの皆さんがお茶を差し入れてくれたり、利用者から感謝されることがあってうれしく思います。
本年7月には駅開業110周年記念として駅舎で作品展を行いました。また、地元商工会や育成会の皆さんに呼び掛け、協力し合って納涼祭の開催も。当日は短時間でしたが、この小さな駅を拠点に子どもたちの笑い声が響き、世代を超えたにぎわいが生まれたことに胸が熱くなりました。多くの人や地域のつながりが深まってきていると感じ、活動にやりがいを感じた瞬間です。

安曇追分駅のホーム 安曇追分駅の花壇整備作業のひととき JRからいただいた感謝状 

安曇追分駅発着の旅

「駅を愛する会をうたっているからには鉄道を使おう」ということで、会では年1回日帰り鉄道の旅を行っています。旅のルールは、安曇追分駅を出発し安曇追分駅に帰ってくること。初回は大糸線を北上し、糸魚川に行ってきました。
安曇追分駅を出発した電車は、タンタタンと心地良いリズムで信濃大町、南小谷へと向います。車内では、のどかな田園風景と雄大な北アルプスを横目に、気の知れた仲間がビールとおつまみで会話を弾ませます。南小谷駅での乗り継ぎに1時間半ほどあったので、1つ前の千国駅で下車し、塩の道を歩いて南小谷駅へ行くメンバーも。南小谷駅を出発し、1両編成のディーゼルカーで1時間ほど進み糸魚川駅に到着すると、昼食にみんなでお寿司を楽しみました。帰路では、南小谷駅へ向かう途中で姫川温泉に寄って汗を流し、南小谷、信濃大町と乗り継ぎながら安曇追分へ戻ってきました。その翌年は青春18きっぷを使い小海線へ、さらに次の年には信州ワンデーパスを使って飯山へと、毎年旅を続けています。
通学等で利用した身近な駅が当時と変わらない姿でいること。それは、人によっては懐かしさを感じ、ふるさとを象徴する景色となると思っています。今後も、地域のつながりを大切に、この駅を愛し、姿を守り続けられるよう活動を続けていきたいです。

<MEMO>

●塩の道
​​千国街道のこと。日本海の塩や海産物が運ばれたことからそう呼ばれている。上杉謙信が武田信玄に塩を送った「敵に塩を送る」の舞台。​​
●信州ワンデーパス
JR東日本が販売する、信州エリア内の普通列車が1日間乗り降り自由になるきっぷ。

安曇野へ移住サイトへリンク<外部リンク>

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