本文
【食の歳時記・冬から春】やしょうまづくりの伝統
お釈迦様のなくなった涅槃会(ねはんえ)の日「2月15日(または月遅れの3月15日)」に長野県では、北部を中心に「やしょうま」を作って仏壇に供える風習があります。
市内のお寺の住職の奥様として、長年地域で「やしょうまづくり」の普及をしてきた寺口芳子さん(穂高)にお話しをお伺いしました。(写真・映像は令和2年11月)
【お話を聞いた方:寺口芳子さん】
穂高にある「宗徳寺」で長年、住職の奥様として勤めながら、生活改善グループの活動にも積極的に参加し、現在も農村生活マイスターとして活躍。
「やしょうまと言えば寺口さん!」と地域の皆が口をそろえる、安曇野市のやしょうま名人。
亡くなった人に供えるおだんごが始まり
お寺では、お釈迦様のなくなった涅槃会(ねはんえ)の日「2月15日(または月遅れの3月15日)」の法要でお供えします。「亡くなった人にお団子をお供えするでしょ。それがやしょうまの始まりよ。」と寺口さん。やしょうまもお供えのだんごと同様に「米粉」で作るのが一般的です。
昔は、「ふるい」で米選し、供出した後、残ったお米で米粉を作りやしょうまを作っていたそう。
やしょうまと呼ばれる由来
「やしょうま」の言葉の由来は、いくつか説がありますが、主には2つの説が有力です。
1つ目は、お釈迦様がなくなる直前に、弟子の「やしょ」が作った「やしょうま」の原型となる食べ物を食べ「やしょ、うまかったぞ」と言ったということからきているという説。
2つ目は、米粉を熱湯で混ぜ、固まったところで、ひとにぎりサイズにちぎった形が「痩せた馬」に似ているため、「痩せ馬」がなまって、やしょうまとなったという説です。
飴細工を参考に
昭和の初めに、寺口さんのお母さんがお寺にお嫁にきたときは、細長い棒状の団子に箸を押し付けて耳のようにかたどるだけのシンプルな形でしたが、飴職人が、金太郎飴を作る要領で、やしょうまを作れないかと考えて、飴職人さんに教えてもらったことが、今のきれいなやしょうまの始まりです。
北信地域では、今も細長い棒状の団子に箸を押し付けて凸状にするのが主流だそうですが、安曇野市では、食紅で色をつけたもので、花などを作る寺口さんスタイルが一般的です。
ちなみに、今回は、シンプルな昔のやしょうまとして棒状の団子に箸を押し付けて「耳」の形にしたごま入りのものも作ってくださいました。
子どもと「やしょうま」
昔は、学校帰りに近くの小学生がお寺に顔を出し、本堂に飾られた涅槃図をお参りした子にやしょうまを配ったこともあったそう。今は、そういうこともなくなり、寂しくなったと寺口さんはおっしゃいます。
また「今は、おいしいものがあふれている時代で、やしょうま以外においしいお菓子もたくさんあるので、昔のようにやしょうまが子どもたちに特別なものではなくなってしまった。だけど、学校で毎年指導したときに目を輝かせていた子たちが、大きくなった時に懐かしく感じてくれて、数人でも自分で作ってみたいと思う人が出てくれたら」と寺口さんはお話くださいました。
やしょうまのレシピ
材料(2本分)
・米の粉 700g
・熱湯 カップ3
・砂糖 140g
・塩 小さじ1
・食紅 少々
(作り方)
(1)米の粉に砂糖、塩をまぜ熱湯カップ3でこねる
(2)こねた粉をひとにぎりずつちぎって、蒸し器で10分蒸す
(3)蒸しあがったらボールを移してすりこぎでつき、よくこねる
(4)こねあがったものを4等分する
(1) 4分の1のみにガラの色付けをする(赤・みどり・紫・黄等)
(2) 4分の1の白は、色付けをしたものを別々に白で巻く
(3) 4分の1の白は、絵ガラの空間に
(4) 4分の1の白は、全体を巻く
全体を巻いたら、よく手でおさえ、空気を抜いて、絵ガラをくっつけたら転がして延ばして自分の太さにして出来上がり!!
(5)やわらかい内は、糸で切る。