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穂高天蚕
天蚕(てんさん)について
桑の葉を与え、室内で飼うカイコを家蚕と呼ぶのに対して、屋外で飼育する絹糸昆虫を野蚕と呼びます。天蚕はその野蚕の仲間です。
天蚕の繭から採れる天蚕糸は、淡緑色で、独特の光沢と優美な風合いを持ち、その希少性から「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれています。
市では、天蚕を昔ながらにクヌギ等の若葉で飼育し、座繰機から繰糸する生糸と、真綿から紡ぐ紬糸が織り糸として使用されています。
200年以上に及ぶ天蚕業の歴史をもつ安曇野市では、今も天蚕糸をつくり続けています。
天蚕糸(てんさんし)
天蚕糸の優美な光沢は、染料に染まりにくいという天然絹糸そのものの美しさがあります。また、丈夫で軽くて柔らかく保温性に富むなど優れた特性があります。
天蚕飼育のはじまり
天明年間 |
有明地区において天蚕飼育開始。 |
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文政年間 (1818年から1829年) |
営利的副業として本格的な飼育開始。 |
嘉永元年(1848年) | 繰糸開始。 |
明治9年(1876年) | 踏み取り機による繰糸開始。 |
天蚕飼育の隆盛
明治10年頃(1877年頃) | 飼育林不足により、県外(茨城県、栃木県など)への出張飼育開始。 |
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明治30年頃(1897年頃) | 有明地区を中心とした3,000ヘクタール程の飼育林及び他県での飼育分を合わせて年間約800万粒の繭を生産。 |
天蚕飼育の衰退
明治35年頃(1902年頃) | 天蚕の害敵 微粒子病、うじばえ等の多発。 |
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明治41年(1908年) | 日本アルプス焼岳噴火による降灰のため蚕児の虚弱化。 |
大正2年(1913年) | 長野県南北安曇郡天柞蚕同業組合が組織される。天蚕飼育の復興。 |
昭和11年(1936年) | 長野県蚕業試験場松本支場有明天柞蚕試験地設置(昭和14年時局反映により廃止。昭和24年再設置)。 |
昭和12年から20年 (1937年から1945年) |
度重なる戦争のため天蚕糸は贅沢品とされる。さらに第2次世界大戦により飼育が途絶える。 |
天蚕飼育の復興
昭和48年(1973年) | 長野県は市町村への委託飼育を開始。穂高町(現 安曇野市)は委託飼育市町村となり、農家による飼育が復活。 |
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昭和52年(1977年) | 穂高町天蚕センター(現 安曇野市天蚕センター)しゅん工。 |
昭和59年(1984年) | 「穂高天蚕糸」商標登録。(有明地区は旧 有明村。有明村は昭和29年に穂高町(現 安曇野市)に合併したためこの名がつく。) |
平成9年(1997年) | 長野県蚕業センター有明試験地・同飼育林(前 長野県蚕業試験場松本支場有明天柞蚕試験地)廃止 ※現在市では飼育林跡地を県から借りて天蚕を飼育している。 |