ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > バーチャルミュージアム 歴史

本文

バーチャルミュージアム 歴史

記事ID:0068758 更新日:2021年3月1日更新 印刷ページ表示

♠旧石器時代

吐中からオオツノジカの骨が発見される

 

♠縄文時代

前 13,000 年頃     ● 定住生活、土器や弓矢の使用開始

前 5,000 年頃    安曇野に集落が出現(他谷遺跡、ほうろく屋敷遺跡ほか)

資料》きのうきょうあしたNo.2『安曇野の環境を考古学する』 [PDFファイル/7.54MB]

前 2,500 年頃      明科光の北村遺跡(1987年の調査で約 300 体の縄文人骨発見)

 

♠弥生時代

前 9 から 8 世紀                           ● 西日本で水田農耕の開始

紀元前後         安曇野で農耕集落の成立(黒沢川右岸遺跡、みどりヶ丘遺跡)

           《資料》きのうきょうあしたNo.2『安曇野の環境を考古学する』 [PDFファイル/7.54MB]

3 世紀頃                                   ● 卑弥呼の時代

 

♠古墳時代

3 世紀頃                            ● 前方後円墳などの古墳造営が開始

7 世紀頃       北アルプス山麓や明科潮地区で多くの古墳が造られ始める

         《資料》きのうきょうあしたNo.2『安曇野の環境を考古学する』 [PDFファイル/7.54MB]

 

♠飛鳥・奈良時代

645 年                       ● 大化の改新

700年頃        明科地域に瓦葺の寺院(明科廃寺)が建立される

         《資料》きのうきょうあしたNo.19『明科廃寺が造られた時代』 [PDFファイル/2.71MB]

710 年                 ● 平城京を都とする

   安曇郡ができ、『和名類聚抄』に高家、八原、前科、村上の名前がみえる

   <東山で須恵器の生産が活発化<外部リンク>

 

♠平安時代

794 年                   ● 平安京を都とする

                              ● 征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐

927 年  「延喜式」 に穂高神社、猪鹿牧の名前が載せられる

1185 年                  ● 源頼朝が諸国に守護 ・ 地頭を設置する

      <この頃、安曇郡に矢原荘・住吉荘・大穴荘などが置かれた記録がある。>

 

♠鎌倉・室町時代

1192 年                  ● 源頼朝が征夷大将軍に(鎌倉幕府)

1317 年   明科地域の光久寺の木造日光 ・ 月光菩薩立像が造られる

1333 年                  ● 建武の新政

1400 年  大塔合戦で仁科氏ら大文字一揆が信濃守護小笠原氏を破る

1552 年  武田氏が小岩嶽城を攻め落とす

       《資料》きのうきょうあしたNo.12『いくさだ!そのとき民衆は・・・』 [PDFファイル/6.68MB]

♠安土桃山時代

1582 年                  ● 武田氏が織田軍に攻められ滅亡する

                               ● 本能寺の変

     安曇・筑摩両郡が松本城主小笠原氏に統治され、満願寺の造営を支援

         《資料》きのうきょうあしたNo.13『受け継がれる安曇野の食文化』 [PDFファイル/2.64MB]

         《資料》きのうきょうあしたNo.22『描かれた満願寺とその自然』 [PDFファイル/2.78MB]

1600 年                   ● 関ヶ原の戦い

 

♠江戸時代

1603年                  ● 江戸幕府の成立

1654年 矢原堰を開削する

1686年 貞享騒動が起き、多田加助ら首謀者 28 名が処刑される

1725年 戸田氏が松本城主となり、川手の村々は幕府領となる

     <この頃、安曇地方に多くの道祖神が造られ始める>

       《資料》きのうきょうあしたNo.10『道祖神祭りに託された願い』 [PDFファイル/6.89MB]

1814年 十返舎一九が成相新田町村や満願寺を訪ねる

       《資料》きのうきょうあしたNo.21『旅と土産』 [PDFファイル/2.96MB]

1816年 拾ヶ堰の開削工事

1832年 犀川通船開始

1847年 善光寺地震 市内一部地域で山崩れ

1853年                 ●ペリー来航

1867年                 ● 大政奉還

1868年 戊辰戦争 江戸幕府が新政府軍に降伏する

 

♠明治時代

1869年 この頃、廃仏毀釈により安曇地方の多くの寺院が荒廃する

1871年 廃藩置県 安曇・筑摩両郡は松本県(のちの筑摩県)に属する

   藤森桂谷が実践社を開設

1873年年 地租改正

    臥雲辰致が太糸紡織機(ガラ紡)を発明

     《資料》きのうきょうあしたNo.11『田園都市安曇野の発展を支えた発明と現代のモノづくり』 [PDFファイル/5.42MB]

1876年 筑摩県を廃し、長野県へ併合する

1879年 南安曇郡役所を豊科に置く

1880 年 松沢求策らが奨匡社を創立

1889 年                 ● 大日本帝国憲法発布

1894 年                 ● 日清戦争開戦

1898 年 井口喜源治が研成義塾を開設

1902 年 篠ノ井線全線開通

      < この頃、蚕種業がさかんになる>

     《資料》きのうきょうあしたNo.3『女性が支えた養蚕』 [PDFファイル/7.11MB]

     《資料》きのうきょうあしたNo.20『絹の道』 [PDFファイル/6.59MB]  

1904 年                 ● 日露戦争開戦

1910 年 荻原碌山(守衛)が彫刻 「女」 を制作

    宮下太吉らが爆発物取締罰則違反で逮捕される(大逆事件のきっかけ)

 

♠大正時代

1914 年                  ●第 1 次世界大戦開戦

1916 年  信濃鉄道全線開通(現 大糸線 ・ 信濃大町駅まで)

      《資料》きのうきょうあしたNo.21『旅と土産』 [PDFファイル/2.96MB]

1923 年                  ●関東大震災

         <山葵の生産が本格化する>

       《資料》きのうきょうあしたNo.5『安曇野わさび・いまむかし』 [PDFファイル/7.43MB]

 

♠昭和時代

1937 年  飯沼正明が純国産機 神風号で東京-ロンドン間の飛行<外部リンク>に成功

                                ●日中戦争開戦

1939 年                   ●第二次世界大戦開戦

1941 年                   ●太平洋戦争開戦

1942 年   清沢洌が『暗黒日記』を書き始める

1945 年   有明村(現 穂高有明)、穂高町が B29 による空襲を受ける

     <この頃、都市部の国民学校が安曇野に疎開してくる>

        《資料》きのうきょうあしたNo.6『安曇野・昭和の子どもたち』 [PDFファイル/7.42MB]

1945 年                      ●太平洋戦争終結

1953から1961 年              ●昭和の大合併

1954から1957 年 豊科町、穂高町、三郷村、堀金村、明科町)が誕生

1966 年松本空港開港

1969 年Tbs「ポーラテレビ小説」で、新宿中村屋を創業した相馬愛蔵

1970 年  井上靖、川端康成、東山魁夷が安曇野来訪

1975 年 NHKの朝の連続テレビ小説で、安曇野を舞台にした作品「水色の時」が放映される

1978 年  やまびこ国体開催(主会場:松本市)

1988 年   長野自動車道豊科 IC 開通

 

♠平成時代

1993 年長野自動車道全線開通

 

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?