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『豊科の宝』刊行記念展示

記事ID:0098396 更新日:2022年12月14日更新 印刷ページ表示

 安曇野市では、『明科の宝』『穂高の宝』に続く第3弾として、令和4年3月に『豊科の宝』を刊行しました。

『豊科の宝』に関係する資料のなかで、文書館に収蔵されている資料を中心に紹介し、豊科の歴史や文化を再確認します。

 

 期間  令和5年1月15日日曜日から3月31日金曜日まで

 会場  安曇野市文書館1階閲覧コーナー

『豊科の宝』刊行記念展示の様子​1『豊科の宝』刊行記念展示の様子2←『豊科の宝』刊行記念展示の様子​

展示内容

人物

千国安之輔

 明治44年(1911)、三郷楡に生まれた千国安之輔(豊科成相に居住)は、生物学者(クモ研究者)であり、教育者でもありました。堀金小学校や豊科小学校、梓川中学校で勤務しています。千国は、第18回青少年読書感想文全国コンクール小学校課題図書となった『ウドンゲのなぞをとく』(1972年、大日本図書)など15点の著書を発表しています。著書のあとがきに「内容をわかりやすくするため、写真を豊富に使うことにしました。虫のすぐれた知恵と知能に、いつもおどろかされました。」と記すなど、次世代を担う子どもたちに視点を当てた構成となっています。千国の遺志は、現在「安曇野市ちくに生きものみらい基金」として生かされています。

千国安之輔が撮影したクモの写真←千国安之輔が撮影したクモの写真、千国が命名した「チクニエビスグモ」は中央です。

藤森桂谷

 天保6年(1835)、豊科新田に生まれた藤森桂谷は、明治4年(1871)に私財を投じ、法蔵寺に実践社という学校を開きます。明治6年(1873)には、成新学校を設置し、初代校長となります。教職を辞した後、明治26年(1893)、自宅に「羅漢堂」を建て、俗離生活を始めます。文人・画家として活躍し、満願寺聖天堂天井絵「竜ノ図」、有明神社額面「連戦連勝図」など多くの作品を残しています。

藤森家所蔵の画←藤森家所蔵の画

公文書

上川手地区振興対策協定書、昭和44年度学校日誌上川手小学校、昭和45年度学校日誌豊科北小学校上川手部校

 昭和40年代、長野県内では、各地の小学校が統合されています。昭和45年(1970)には、豊科南小学校高家部校と豊科部校が実質統合し、豊科南小学校が開校しています。昭和46年に豊科北小学校南穂高部校と上川手部校の実質統合により豊科北小学校が開校しています。上川手小学校の閉校に際しては、地元住民との協議により、昭和46年2月に協定が結ばれ、上川手地区の振興計画が策定されました。その後、桜坂区ができ、昭和57年(1982)4月豊科東小学校の新設につながっていきます。

昭和の合併「豊科町」

 昭和29年(1954)11月19日、豊科町・南穂高村・上川手村・高家村の4ヶ町村による合併調印が行われました。三田村・烏川村との合併案や上川手村・高家村の分村など幾多の課題を超えての調印となりました。展示している協定書の文面を見るとその経緯を知ることができます。

昭和の合併「豊科町」 公文書←昭和の合併「豊科町」 公文書

奈良・平安時代の須恵器

・溶着した坏(つき)(重ね焼き) 9世紀(窯体内出土)

・長頸壺(ちょうけいこ) 9世紀(窯体内・灰原出土)

・蓮華文(れんげもん)透(す)かし脚(きゃく)円面硯(えんめんけん) 9世紀(窯体内・灰原出土)

 「上ノ山窯跡群」はJR篠ノ井田沢駅東の上ノ山(標高841.4M)に連なる山中につくられた奈良・平安時代の窯跡群です。昭和62年(1987)に穴窯17基、堅穴建物25軒、焼成坑(土師器や黒色土器の窯)、炭窯などが見つかりました。ひとつの窯跡群内にこれだけ多くの窯や建物が発掘されたことは、長野県内では例がありません。

奈良・平安時代の須恵器​←奈良・平安時代の須恵器

自然科学

光城山の桜と自然

 光城山の歴史は戦国時代にさかのぼりますが、現在は桜の名所として知られ、トレッキングコースとしても人気があります。登山道の桜並木コース沿いには多くの桜が植栽されていて、桜の季節になると下から徐々に開花がすすみ、その姿は「昇り龍」にも例えられます。植樹の始まりは大正時代にもさかのぼるとされ、地元の市民などにより保全されてきました。現在は「光城山1000人Sakuraプロジェクト」として市民と行政が協働しながら植林だけでなく、観光や歴史などに関する活動も行われています。

犀川ダム湖の白鳥や水鳥たち

 安曇野で初めて白鳥が記録されたのは昭和59年(1984)の大晦日のことです。犀川のダム湖に5羽のコハクチョウが飛来しているのが確認されました。近年はおよそ400羽から1350羽ほど推移していて、今や県下最大の飛来地となっています。

化石が語る豊科の海

 約1300万年前、豊科地域の山地は海の底でした。ここの地層からはシガマッコウクジラをはじめ、アシカなどの海生哺乳類、サメやニシンなどの魚類、巻貝、二枚貝、カニ・エビなどの甲殻類、アホウドリ科の海鳥、陸上植物などの多種多様な化石が産出します。その内容から現在の九州南部から沖縄のような温かい気候だったと推定されています。

自然科学の展示←自然科学の展示​

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