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「この桜の苗木が見頃を迎えるのは今の子どもたちの世代。活動を継続し、素晴らしい光城山の景色を次世代につなげていきたい」。11月6日に植えたばかりの桜の苗木を見つめながら、そう力を込めた。
山頂に向けて、ほぼ直線状に約1500本の桜が咲く安曇野市豊科光の光城山。毎年4月中旬、麓から山頂へゆっくりとピンク色に染まっていく姿は「昇り龍」の愛称で親しまれ、市内外から大勢の観光客が訪れる名所として有名だ。この桜並木の保全や光城山の魅力向上に、市と市民が協働で取り組む「光城山1000人SAKURAプロジェクト」の会長を務める。
プロジェクトとしてこれまでに計640本の桜の苗木を植樹。令和3年度は光城山の中腹に20本の桜を植えた。プロジェクトの知名度向上を目的とした軽トラ市の他、戦国時代に山城だった光城山の遺構を学ぶ講座(座学編・現地編)を開催。「コロナ禍だったが、光城山の魅力を知っていただく機会を増やすことができた」と話す。
(上の写真) プロジェクトによる桜の植樹の様子(左)と歴史講座の様子(右)
光城山が桜の名所となったのは、地元の若者たちが大正天皇即位を記念して桜を植えたのがきっかけという。植樹は昭和以降も続いたが、近年は老木化して開花する桜が乏しくなっていた。この課題を解決するため、地元財産区や地元区、市民活動団体、市などが力を合わせて平成26年度にプロジェクトを立ち上げた。宮澤さんは2代目の会長として活動を引っ張っている。
(左の写真) 昇り龍として知られる光城山
光城山の麓の安曇野市豊科田沢(当時:豊科町)で生まれ育った。光城山の中腹に実家の畑があり、子どもの頃から野菜の収穫を手伝うため幾度も登ったという。「当時は重い荷物を背負わされたから、光城山に行くのが嫌だった」と笑いながら懐かしむ。
再び光城山に登るようになったのは会社を退職した今から7年ほど前。健康維持を兼ねて毎朝登る内、知り合いに誘われて光城山の環境保全などに取り組むNPO法人楽々安曇野の活動に加わった。プロジェクトの活動に加え、法人の中心メンバーとして月1回の登山道整備などにも取り組んでいる。
「桜の名所として有名になり多くの観光客が訪れるようになったことや、近年のゲリラ豪雨で登山道が以前よりも荒れてきている」。プロジェクトや法人に関わるメンバーの高齢化も課題となっており、「この素晴らしい光城山の景色を守っていくためにも活動の輪を広げていきたい」と話す。
光城山には1日に2回登ることもあり、「年間300回以上を目標にしている。歩けなくなるまでは登り続けるよ」。最近はトレイルランニングを楽しむ若者の姿も目立つといい、「光城山や長峰山を含めた広域でのトレイルランニングのコースも整備したい」と今後の目標を語った。
(左の写真) 光城山の登山を日課としている宮澤さん
(掲載情報は取材日の令和3年11月22日時点です)
※写真撮影時のみマスクを取っていただきました。