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「博物館の展示って難しい!たいくつ!」
なーんて思っているみなさん。
いちど、豊科郷土博物館へ来てみませんか?そして、あづみのってどんなところなんだろうと、考えてみてください。
安曇野に伝わるいろいろなMatsuriを体感してみてください。
みなさんのイエではどうでしょうか?みなさんが住むムラの祭りはみつかりましたか?
わからないことがあったら、館長をはじめ学芸員を質問攻めにしてください!
大口沢から発掘された生痕化石。動物が這い回った跡や、エビやカニの仲間の甲殻類の巣穴などをはっきり見ることができます。
ってことは、安曇野って海の底だったの?
景行天皇十二年(神話時代のことです)という年まで、安曇・筑摩地方は湖だったといいます。
そこに犀龍という龍がすんでおり、東高梨というところに住んでいる白龍王と結婚して、日光泉小太郎が生まれました。
母は諏訪大明神の化身で、「この湖を突き破り、水を落として平地とし、人の住める里にしましょう」といい、小太郎を背にのせて、三清寺の巨岩を突き破り、さらに水内橋の下の岩山を開きました。
そのご、母の犀龍は白龍王と坂木の横吹きの岩穴に住み、小太郎は有明の里に住んで子孫が繁栄しました。
(『安曇野の伝説』より、要約。詳しくは図書館で『安曇野の伝説』教育委員会発行 2018年2月 を読んでください)
有明の宮城というころに魏石岩窟があります。
そこを根城にした八面大王という大鬼が手下とともにすんでいました。
神出鬼没の魔力をもち、雲を起こしたり霧を降らしたり、天地を飛行したりすることもできました。
村里に出ては盗みや乱暴を働いてました。
延暦10(791)年、坂上田村麻呂という都の将軍が信濃にやってきて、鬼退治の祈願をいたしました。
松本の筑摩八幡の神様が夢枕に立ち
「甲子の年・月、子の刻生まれの男の子が、山鳥の三十三節の尾羽で作った矢を用いてみよ。鬼の魔力も通じないであろう」
と告げました。
矢村の矢助がちょうどその条件に当てはまります。
しかも、矢助の妻が「三十三節の山鳥の尾をもってまいりしょう」と、その尾で作った矢を坂上田村麻呂に献上しました。
そして、ついに八面大王を打取とることができました。
(『安曇野の伝説』より、要約。詳しくは図書館で『安曇野の伝説』 教育委員会発行 2018年2月 を読ください。また、八面大王に関係した地名があちこに残のこっています。御宝田、塔の原、立足、耳塚などがあります。それぞの地名のいわれも調べてみてください)
こうした話を知ることによって、海の底にあったといわれる生痕化石一つから、現在の安曇野へと、次から想像ははてしなくふくらみます。
魏石岩窟
安曇野には犀川を挟んだ台地にたくさんの遺跡があります。
穂高郷土資料館には、たくさんの遺跡から出た縄文土器の一部が展示されています。
縄文のビーナスは有名ですが、それに勝るとも劣らない広耳付き土器などが展示され、安曇野市の西の台地と東の台地の出土品の違いがわかる展示を工夫していますので、あなたの眼で確かめてみください。
スタンプになった広耳付き土器
安曇野市の有形文化財になっている、洋風建物です。
大正時代には有明温泉としてにぎわった建物ですが、温泉旅館閉鎖後の1946(昭和21年)から青少年の更生施設「鐘の鳴る丘」有明高原寮(法務省管轄)として利用されていました。
1980(昭和55年)、老朽化により取壊されることになった建物を当時の穂高町が法務省より譲り受け、現在の場所に移築しまた。現在は研修施設として利用されています。
NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、1947(昭和22年)から600回放送されました。
戦後の荒廃した時期に問題を起おこした青少年が、この施設で更生し、再び社会に出ていく物語として、人々に明日への希望を与える物語でした。放送の折の主題歌
「緑の丘の赤い屋根 帽子の時計台 鐘が鳴りますキンコンカン メイメイ子ヤギも鳴いてます 風はそよそよ丘の家 黄色いお窓はオイラの家よ」
は、あまりにも有名で、現在でも歌える方が大勢いらっしゃます。
鐘の鳴る丘に行くと、この曲を10時・12時・15時に聞くことができます。
展示室に入ると民家があって、1950年代末から1960年代の安曇野の農家の暮らしを再現しています。
おじいさんおばあさん、ひいおじいさんひいおばあさんの日常生活をちょっと体験してみて下さい。 現在との違いにびっくりすると思います。
ご飯を食べる食卓についてる引出しには、食事がすんだあとの作法などを書いた小さなパネルもあるから、見落とさないでね。
遠くから見ると森のように存在感を示す屋敷林。これも安曇野の貴重な景観の一つです。
アルプスから吹きおろす風が直接家にあたったり吹き込んだりしないように、家の周囲に丈の高くなるヒノキ、スギ、ケヤキ、クリ、アカマツなどの木を植えて風を防いでいます。
枝を払ったりして手入れをしなけばいませんので、屋敷林を維持していくのは大変です。
昔は、新宅に出す家の材木にしたり、今でも屋敷林の木を薪にして風呂を焚いてるという家もあります。
落葉は、囲炉裏やふろの焚きつけに利用したり、堆肥といっしょに積んでおいて、畑の肥料などにすることもありました。
中には大きな藤の木があって、見事な花を咲かせ、周囲の人の目を楽しませてくれる家もあります。
三郷の屋敷林
祭りのおはやしの音がどこからともなく聞こえてきて、にぎやかなお祭りのようすが伝わってきます。
ムラにはいろいろな祭りがあって、それぞれの祭りが、地域の人たちをつなぎ、地域の人たちの無事と健康であることを祈っていたんだね。
現在は見られなくなったお祭りもいくつかあるし、子どもだけで行っていた祭りもあるので、皆さんが行っているお祭りの歴史を振り返り、現在とくらべてみてください。
「安曇野のまつりへようこそ」のスタンプは、常念岳のふもとをゆくオフネと、オフネを見守る双体道祖神。
もう一つは、常念岳を背景に屋敷林に囲まれた本棟造りの家。広々したコメどころの安曇野の裕福な家を代表する風景。
実在する家をモデルにしているので、どのあたりにある家か探してみてね。
道祖神がみなさんの観覧を歓迎しています。そして台紙に二つのスタンプを押すと・・・・・ 泉小太郎君が母の龍の背中に乗って、一生懸命安曇野を切り開いています。